中島岳志 いまアジア主義を見直す

いかにして日韓関係を改善すべきか

 徴用工問題やレーザー照射問題、天皇への謝罪要求など、一連の問題をめぐって日韓関係は冷え切っています。韓国側の言い分には無理があるところが多々あります。反論すべきところは反論しなければなりません。しかし、こうした日韓問題の背後に日本の植民地支配があることも忘れてはなりません。私たちはいまこそ歴史を振り返り、現状打開のための方策を模索していく必要があります。

 ここでは弊誌3月号に掲載した、東工大教授の中島岳志氏のインタビューを紹介します。全文は3月号をご覧ください。


戦前の右翼が朝鮮半島との関係を重視した理由

―― 最近の日本では、特に保守派と呼ばれる人たちの間で反韓感情が強くなっています。しかし、戦前の日本では玄洋社の頭山満をはじめ、右派と呼ばれる人たちはむしろ朝鮮半島にシンパシーを持っていました。中島さんは『アジア主義 西郷隆盛から石原莞爾へ』(潮文庫)で、その様を克明に描いています。なぜ彼らは朝鮮半島との関係を大切にしたのですか。

中島 まず大きな構造の話をしますと、もともと日本と朝鮮では近代の迎え方が異なりました。当時の李氏朝鮮が清朝と冊封・朝貢関係にあったのに対して、日本は清朝と冊封・朝貢関係にはありませんでした。よく誤解されていますが、冊封・朝貢関係とは中国に主権を全面的に委ねることではなく、国王が中国から統治権の正統性(レジティマシー)を得るということです。清朝は李朝の内政に直接的な介入はしません。

 こうした中、ウェスタンインパクトが生じます。日本に対しては黒船来航という形であらわれました。これは単に開国しろという話ではなく、ウェストファリア体制に従えということです。ウェストファリア体制とは、国際社会のプレイヤーを国家に一元化し(主権国家)、国家同士で国際法を確認し合う関係のことです。互いに内政干渉せず、勢力均衡(バランス・オブ・パワー)が前提となります。

 日本は当初この要求を突っぱねますが、最終的にウェストファリア体制を受け入れます。そして、李氏朝鮮にも中国との冊封・朝貢関係をやめ、ウェストファリア体制に加わることを求めました。日本はリアリズムという観点からウェストファリア体制に加わったのですが、李氏朝鮮からすれば、日本は手のひらを返したように伝統を投げ捨て、西洋の猿真似をしている国に見えたでしょう。

 このように、日本と朝鮮の間には近代に対する認識のギャップがありました。それが後に征韓論などにつながっていくわけです。

 この認識ギャップを乗り越えようとしたのが玄洋社です。玄洋社の基本精神は、「皇室ヲ敬戴ス可シ」、「本國ヲ愛重ス可シ」、「人民ノ権利ヲ固守ス可シ」の3か条です。つまり、天皇主義、ナショナリズム、国民主権です。

 天皇主義やナショナリズムは国民主義と対立するように見えますが、決してそうではありません。彼らの掲げる一君万民思想とは、天皇という超越的な一君を置くことにより、それ以外の万民を平等な存在とする考え方です。そのため、一部の賢しらな計らいを持つ人々が国家を独占的に統治することに反対します。だからこそ、彼らは前近代の封建制度や明治政府の専制的政治に反対し、自由民権運動にも参加したのです。

 玄洋社の運動は国会開設や憲法制定によって、初期の目的を達成しました。そのため、頭山満は次の自分の仕事は何だろうかと考えるようになったはずです。そのときに目の前にあらわれたのが、李氏朝鮮から亡命してきた金玉均でした。

 もともと金玉均は日本に遊学して福沢諭吉のもとで学んでいましたが、李氏朝鮮の封建制度や欧米の植民地支配と戦うため、甲申事変を起こします。しかし、クーデターは失敗に終わり、日本への亡命を余儀なくされていました。

 頭山は金玉均に、かつての自分の姿を見たはずです。自分と同じことを隣の国でやろうとしている金玉均が、日本に助けを求めにきている。これに手を貸さないわけにはいかない――。そこで、金玉均の運動をサポートし、さらに日本と朝鮮が連帯して欧米列強による植民地支配を跳ね返していこうと考えたのだと思います。

 これが当時の右派のエートスです。彼らからすれば、アジアと連帯することは決して矛盾したことではなかったのです。……