菅野完×横山孝平 靖国神社を私物化する日本会議

日本会議が守ろうとしているのは「戦後の日本」だ

菅野 僕が今回なぜ横山さんと是非ともお話ししたいと思ったかと言いますと、横山さんが楠公祭(*楠正成公・正行公親子ら楠氏一党の尊皇精神を継承すべく、有志によって毎年開催されているお祭り)で読み上げられた祈願詞にとても心を打たれたからです。横山さんはその中で、安倍政権の安保法制を批判しつつ、「いま、為政者は憲法に規定されない『護憲の軍隊』を、同盟国といわれる他国の軍隊の傭兵として、差し出す準備を固めました。自らが求める『憲法改正』を『解釈』と、『新たなる法制化』という手段によって、まさに、本を正さず末に走る姑息な手段で、後世にまで禍根を残す、愚かな結末を招来させようとしています」と言われています。こういう言い方は大変おこがましいのですが、これは極めてまっとうな国家観、あるべき国家観だと思うんです。

 ところが、僕が追いかけ続けている日本会議の国家観は、全く違います。彼らも以前はYP体制(ヤルタ・ポツダム体制)打破を主張していたんですが、今ではYP体制の擁護に回っています。彼らがアメリカに操られているとは思いませんが、結果的にアメリカ寄りになってしまっていることは間違いありません。

横山 そうですね。僕は保守と呼ばれるグループが守り保とうとしているものは、「戦後の日本」だと思っているんです。戦後の日本の背景にはやはりアメリカという国が存在するんですが、彼らはアメリカ型の大国主義的なるものを保守しようとしている。そうした流れについて、僕は違うよと言いたいんです。

 これは日本をどのような枠組みで捉えているか、その違いだと思います。いわゆる保守の人々は日本を西洋的な枠組みの中で捉え、その中で強い日本を作りたいという感覚を持っているのだと思います。しかし、日本は地政学的に西洋と東洋の中間、おわりとはじまりに位置しているのだから、そこから独自の政治や外交、思想などを発信していくことができるはずです。そこに立ち返ることが本来の姿ではないかというのが、僕の右翼としての基準です。

菅野 僕もそう思います。それは憲法改正をめぐる議論にもはっきりと表れています。日本会議も含めた広い意味での保守の言説を見ると、彼らは憲法9条2項さえ変えればいいと考えているようです。中には、せめて前文だけでも変えたいと主張している人もいます。

 確かに憲法改正は必要条件かもしれませんが、決して十分条件ではありません。彼らは改正すること自体が自己目的化していて、改正さえすればそれで全て終わりであるかのように考えてしまっています。しかし、いくら改正したところで、それがアメリカの意図に沿ったものなら、何の意味もありません。

横山 僕の中には、憲法を改正せずに過ごしてきた70年を一度終わらせないことには次が始まらないという感覚があるのですが、改正さえすればいいというものではないというのはその通りですね。特に、9条の問題に絞って言えば、護憲派も改憲派も綺麗事に終始してしまっています。

 例えば、護憲派の中には軍隊を持てば戦争が起きるという議論がありますが、軍隊があるから戦争を回避できているという面もあります。彼らはそういう事実を見ないふりしています。

菅野 おっしゃる通りです。他方、改憲派も9条さえ改正すればいいと言っているけれども、9条を変えれば直ちに外交的なプレゼンスが上がるわけでも、国防力が上がるわけでもない。彼らもある意味でリアリティから逃げている。

横山 逃げていますね。その意味では、安倍政権が進めた安保法制も、一見力強い議論なんだけども、現実には自衛隊の人たちを本当に馬鹿にした議論なんですよ。彼らは軍人としての地位の保証がない人たちを、アメリカの要請のままに戦争に駆り出そうとしている。僕はその軽さがどうにも我慢できないんです。

靖国神社を私物化する日本会議

菅野 その軽い安倍政権の先棒を担いでいる人たちを見ていくと、やっぱり日本会議の関係者が多いんです。しかし、先ほども述べたように、日本会議はかつてYP体制打破を唱えていましたが、今ではYP体制を内面化してしまっているようにしか見えません。彼らは自分たちの中でその変節をどのように納得しているのか、よくわかりません。

横山 それはある種、日本人のメンタリティだと思います。戦後の日本はアメリカに軍事力を委ねることで経済発展してきました。その経済発展も、親方日の丸という体質があったわけですよね。つまり、戦後の日本では、体制の中に組み込まれてさえいれば生きてこられたんですよ。

菅野 体制に順応さえしていればよかったということですね。

横山 そうです。だから日本会議の人たちも、彼らは体制の中に組み込まれてそれらしいことを言っているにすぎないんだけれど、まるで自分たちに力があるかのように勘違いしてしまっているんでしょう。

 僕はそれを今年の8月15日に実感したんです。僕は8月15日に靖国神社にお参りをした後、仲間たちと茶店でお茶を飲んでいました。それで、帰ろうと参道を歩いていた時に、「青年フォーラム」というイベントが始まったんです。すると、それに関わっている人たちから、「そこをどいて向こうを歩いて」と言われたんですよ。

菅野 日本青年協議会が主催しているイベントですね。彼らは毎年、参道の真ん中を占拠してイベントを行っているので、一般の参拝者たちが参道を歩けなくなっています。おっしゃるように、そこで立ち止まろうものなら、「動いて」と怒鳴りつけてくる始末です。

横山 僕の中では、袞竜の袖に隠れてと言うか、特権を振りかざしているようにしか見えませんでした。ご遺族の方々の中には高齢のため車いすで来られている方もいるのに、そうした中でああいう振る舞いをすることについて、彼らは何とも思っていないんでしょうね。

菅野 そうだと思います。彼らは靖国神社を私物化しているんですよ。実際、8月15日に靖国神社の境内で物販しているのは、茶店や靖国神社付随の施設以外では、おそらく日本会議だけです。彼らは自分たちの機関誌や出版物を当然のように売っていますからね。彼らの態度を見ていると、一体何のために来ているのかわかりません。……


以下全文は本誌10月号をご覧ください。

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