西原春夫 明治維新の光と影

自由民権の伝統を尊重せよ

―― 西原さんは早稲田大学総長も務めた刑法の国際的権威ですが、本書は『明治維新の光と影』と銘打ちながら、その内容は幕末維新にとどまらず、西洋ルネッサンスから戦前戦後の日本、さらには今後の東アジアの在るべき姿にまで及んでいます。一読して、類書に例を見ない特異な本だという印象をうけました。

西原 去年は明治維新150年の節目で、幕末維新を論じた本がたくさん出ましたが、私はそういうブームに便乗して歴史の本が書きたかったというわけではありません。

 現在、我が国は国際社会の荒波に襲われていますが、羅針盤を失い、舵取りすら利かない難破船のごとく漂流するのみです。重苦しい閉塞感が社会全体を覆い、国民は為すべきところを知りません。

 このような現状は明治維新以来150年の歴史の積み重ねから生まれたものです。だから私は日本近代を総括することで、現状を客観的に捉える視点を提供し、閉塞状況が外側から見える「窓」を開きたかったのです。そのために90歳の老身を顧みず、わずか3カ月で一気に書き上げたのが本書です。

―― ズバリお聞きします。明治維新の光と影とは何ですか。

西原 明治維新の光とは日本がアジア各国に先駆けて近代化を成し遂げ、独立を守り、世界の一等国になったことであり、明治維新の影とは日本の帝国主義が国内外の自由を圧迫し、遂には戦争の大惨禍を引き起こしたことです。明治維新の光と影は表裏一体であり、これは薩長の功罪も同様ですね。

 薩長を中心とする明治の先人は大変な努力をして植民地化を防いで日本の独立、すなわち日本の自由を守ったのです。これに対して私たち後輩は心から敬意を払い、感謝しなければならない。

 一方で薩長藩閥政府は自由民権運動を弾圧し、明治14年の政変で福沢諭吉や大隈重信の自由思想を排除し、プロイセン流の強権的な国家体制を構築しました。その結果、後に悲劇が生まれたのです。このことは肝に銘ずべきです。

 しかし、私は自由民権運動や福沢・大隈の思想は敗戦を契機に、アメリカ人の手を借りながらではありますが、実は歴史の成り行きとして日本国憲法に結実したと考えています。戦前の自由民権思想は、現行憲法の三大原則(基本的人権の尊重、国民主権、平和主義)として復活したのです。この価値観をこれまで以上に尊重し発展させていくこと、これが日本の国家目標であるべきだと思います。

―― 西原さんは自由民権運動の系譜を引く日本国憲法を重視していますが、その価値を否定する形で憲法改正運動が強まっています。

西原 戦後は基本的人権をはじめとする権利が強調されすぎて国民がわがまま勝手になっているから、憲法改正で義務を課そうという保守の主張に対して、憲法は国家権力を縛るもので国民を縛るものではないというリベラルな側からの反論がある。

 権利を制限しなければ無秩序になるが、権利を制限すれば不自由になる。その矛盾をどう解決するか。その答えはカントにあります。

 西洋では国家権力が社会全体を支配し尽くして、領主が独断で罪と罰を決める罪刑専断主義のもとで一切の自由が奪われた歴史があります。その状況から西洋の人々が自由という価値観を追求していった最後に、カントの自由論が生まれます。カントは『実践理性批判』で「汝の意志の格率が常に同時に普遍的立法の原理として妥当しうるがごとく行動せよ」(定言命題)と述べています。

 私なりに「超訳」すると、「あなた自身の行動について国家権力の干渉を受けたくなければ、つまり自由でいたいのであれば、あなたの欲求が常に同時に、誰もが従わざるを得ないような法律の原理として通用するように行動しなさい。それができないというならば、自由など諦めなさい。それができてこそ、人には権利が授けられるのです」ということです。これは「七十にして心の欲する所に従いて矩を踰えず」という孔子の思想と同じです。

 権利と秩序、自由の三者は、他者に従わせる他律ではなく、自分自身に従う自律によってのみ同時に成り立たせることができる。そして「普遍的立法の原理」や「矩」は人間の本質に内在しているのです。

 自律は暴力も食い止めることができます。現在、国内外ではDV、虐待、テロ、戦争など暴力が蔓延していますが、まず我々日本人が自律の精神を養い、これを天下に示せば、国内外から不自由と暴力をなくしていくことができるはずです。それこそが自由民権と平和主義を実現する日本の進むべき道です。

日中は東アジアの世話役を目指せ

―― 西原さんは本書でアジアとの関係も重視していますが、反中嫌韓の動きがエスカレートしています。

西原 かつて大隈重信は「我国は既に東洋の文明を代表すべき位地に達し、更に西洋の文明を東洋に紹介するの天職を有する者なるが故に、東西両洋の文明を融和綜合して、一層世界の文明を向上せしむることは、一に其使命なることを自信せざるべからず」と述べています。これこそが日本が国際社会で果たすべき役割だと思います。

 高杉晋作、頭山満、中野正剛らの先人はイギリスに支配されている上海で中国人が虐げられている姿を見て我が事のように憤慨していました。この同胞意識を忘れてはなりません。

 ただ現在の状況では日中韓が北東アジアの枠組みでまとまることは難しい。そのため、東南アジアを巻き込んで「東アジア」という大きな枠組みの中でお互いに歩み寄るべきだと思います。私は1988年から日中刑事法学術交流を先導した経験から、現在では日中韓やASEANの国際法学者が集まる「東アジア国際法フォーラム」の設立を目指しています。私の構想は、参加国の学者を全て対等な形にするために会長職は置かないが、日中が事務局を担当するというものです。

 これは国際関係にも通じる発想ではないでしょうか。日中は東アジアのリーダーではなく、さりげない世話役になって、当事国が「どうして東アジアは上手くいっているんだろう」と考えた時に、「ああ、日中のおかげだな」と気づくと。日本はこういう形で中国と歩調を合わせて東アジアに貢献すべきだと思います。

―― 本書をどういう人に読んでほしいですか。

西原 これからの時代を担う若者です。最近の若者は心のどこかで愛国心を求めているように感じることがあります。戦前の日本は軍国主義が台頭した暗黒の時代であり、「日本は世界一の国だ」などという誇大妄想を抱いた迷妄の時代だと言われますが、それでも当時の国民は明治維新の威光、大日本帝国の栄光をひしひしと感じ、「日本は世界一の国だ」と本心から思っていました。当時の日本は愛するに足る、誇りに値するものがあったのです。こういうものは現在の日本には全くない。

 だからこそ今でも大日本帝国の栄光に憧れ、戦前回帰を願う人々の気持ちは分かります。私自身、後ろ髪を引かれることもあります。しかし、この想いは断ち切らなければならないのです。しかし、そういう国を想う心ある若者にこそ、ぜひ本書を手に取っていただきたいと思います。