individualといふ異様な人間観
「すべて国民は、個人として尊重される。」日本国憲法第十三条冒頭のこの一文が、いかに異様な思想をあらはしてゐるかといふことに気付く人は少ない。現代のわれわれは、ただこれを見慣れたスローガンとして受け取るのみである。しかし、明治のはじめ、われわれの先人が初めてこの「個人」といふ言葉の原語であるindividualといふ語に出会つたとき、この語は明らかにその奇異な相貌を見せてゐたに相違ないのである。
現在われわれが日本語として使つてゐる言葉の多くは、いはゆる翻訳語と呼ばれるものである。この「個人」もさうであるし、その他「社会」「権利」「経済」「哲学」「科学」「電気」「鉄道」「銀行」等々、あげ出せばきりがないほどである。これらの語は、明治期にそのシステムや学問と共に輸入された言葉を、従来の日本語のうちに相当する語がないので、漢字を組み合わせて新しく造語し、翻訳にあてたものである。
この翻訳語の成立といふ出来事は、柳父章氏の名著『翻訳語成立事情』にも語られてゐるとほり、一つの文明論として、非常に興味深い出来事なのであるが、ことにいくつかの翻訳語については、その成立自体が一個の文明批評をなしてゐるとすら言へる。「個人」といふ翻訳語も、まさにその一つである。
Individualといふ単語を、一八六七年のヘボンの『和英語林集成』では「ひとり」と訳してゐたといふ。また、堅苦しい翻訳語を嫌つた福沢諭吉は、敢へてこれを、ふつうの日本語を使つて「人」と訳した。たしかにindividualは「ひとり」の「人」を指してをり、これは決して誤訳ではない。
しかし、厳密に言葉のニュアンスをひきくらべてみれば、「人」とindividualは明らかに違ふ。たとへば「人の道」といふ言葉はあるけれども、「individualの道」などといふ言葉は意味をなさない。これから見てゆくとほり、このindividualといふ言葉は、まさに「人の道」といふ発想を切り捨てたところに成り立つ、異常な人間観をあらはしてゐるのである。
結局のところ、もともとの日本語であつた「ひとり」や「人」といつた訳語は定着せずに終る。individualの訳語としては、「独一個人」といつた「四角張つた」言ひ方が主流となり、そこから「独」が抜けおち、さらに「一」が抜けおちて、「個人」といふ翻訳語が出来上つたのであつた。
この翻訳語成立の背後には、明らかにこのindividualといふ西洋語のになふ異様な思想への異和感といつたものがあつたと見られる。いま、その異和感の根源をさぐつてみるのは、決して無意味なことではあるまい。
「社会契約説」の原型
その「異様な思想」の出発点をなしてゐるのは、一六三七年に発表された、デカルトの『方法序説』である。彼はそこで、「疑ひ得ない真理」を求めて、疑ひ得るものすべてを疑ふといふ徹底した懐疑──「方法的懐疑」──を行ふのであるが、そこではまづ感覚が疑はれる。感覚は時として我々をあざむくから、感覚が教へるすべてを誤りとして捨て去らう、と彼は言ふ。すなはち彼は、我々に見えるこの世界のすべてを、存在しないものとして切り捨てるのである。次に数学の真理も疑はれ、自己自身の存在すら、(夢の中ではよく誤るのだから)疑はしくなる。ではこの私も存在しないのか、と疑ふ瞬間、いや、さうしてすべてを疑つてゐる者の存在自体は疑ひえない、と彼は気付く。つまり、全世界を存在しないものとして疑つてゐるかぎりにおいて、「私」は存在する──それが有名なデカルトの「我思ふ故に我在り」なのである。
この「我」こそが、まさしくindividualである。それ以上分割され得ず、それが存在するために他の何ものも必要としない存在──これはたうてい「人」といふ尋常な言葉で訳しうる概念ではない。
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