稲村公望 アメリカに迫る国家分裂の危機

住所の郵便番号を見れば階級がわかる社会

―― アメリカの保守系シンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」の研究員チャールズ・マレー氏が一月に刊行した『Coming Apart: The State of White America, 1960-2010(分断:アメリカ白人社会の状況─一九六〇~二〇一〇年)』が注目を集めている。同書の重要性はどこにあるのか。

稲村 これまでも、アメリカ国内の経済格差は指摘されてきたが、豊富な統計資料を駆使して、数値に基づいて格差拡大の実態を示したところに同書の意義がある。

 アメリカには、フードスタンプ(食料費補助券)がなければ飢えるしかない四千四百万人(全人口の一三%)の国民がいる。一方で、桁外れの富裕層が台頭してきている。マレー氏は、「新上流階級」を「狭い意味でのエリート」と「広い意味でのエリート」に分ける。前者には、ジャーナリスト、法律家、裁判官、政府官僚、政治家などが含まれ、その数は十万人程度、後者には企業経営者、医者、地方公共団体の職員、エリート・ビジネスマンなどが含まれ、二百四十万人程度。

 「新上流階級」とは、コレステロールの量を気にかけて減量に励み、ワインを嗜み、タバコは吸わない。『ニューヨークタイムズ』『ウォールストリートジャーナル』を毎日読み、テレビはあまり見ず、ラジオ番組を選択して聴き、外国人のインテリの友人がいるといったイメージだ。

 「新上流階級」が富を独占し、特定の高級住宅街に集中して住んでいる。一万七千二百二十一平方メートルの敷地に百二十三の部屋のある家を建てた企業トップが、九千九百万ドルの退職金と八千二百万ドルの年金をもらった例も挙げられているように、行き過ぎた富の独占が罷り通っている。

 アメリカでは、高学歴の者同士が結婚する傾向も強まっている。これを「ホモガミー」(同類結婚、階級内婚)と呼ぶ。一九六〇年代には両親ともに大学卒の割合はわずか三%に過ぎなかったが、二〇一〇年には二五%に上昇した。高学歴の富裕層同士が結婚し、高学歴で培われた「才能」やエリート層の人脈も子どもに受け継がれるという。

―― 富裕層は、治安の良い高級住宅街に固まって住んでいる。

稲村 いまやアメリカでは、居住地の郵便番号(ZIP)を聞くだけで、その人物が「新上流階級」か否かが見分けられる。ワシントンDCの十三地域やマンハッタンなどの一部の居住地が「スーパージップ」と呼ばれる。ハーバード、プリンストン、エール大学卒業生の四四%は「スーパージップ」の地域に住んでいる。かつてアメリカの一流大学は分散していた。東部の名門私立大学「アイビー・リーグ」だけではなく、西部にはスタンフォード大学、南カリフォルニア大学、南部にはデューク、ヴァンダービルトといった名門があり、大差はなかった。ところが、いまや優秀な学生が特定の大学に集中するようになった。

 左の図は、同書に掲載された地図で、アメリカの首都ワシントンの高級住宅街の区分を示している。黒の地域が「スーパージップ」、白が貧困層の地域である。実際にこの三月にワシントンの市内を歩き、また車で回って確かめてみると、この本の記述は、なるほどと思わせた。首都ワシントンの北東地域は高級住宅街となり、治安は良くなっている。夕方にジョギングする者がいて、若い男女が談笑しながら、テラスに張り出したレストランで夕食をとっていた。しかし、ポトマック川の向かいの地域は、リンカーン記念堂の向かいで、沿岸警備隊の本部の近くの地域などは、まだ地下鉄も通らずに、昼間から若者が失業してたむろして、缶蹴りをしている。

ブルーカラー層の約半分は独身

稲村 マレー氏は、一九六〇年と二〇一〇年を比較し、多くの変化を具体的に示している。例えば、一九六〇年には三〇~四九歳のブルーカラー層の八四%が結婚していたが、二〇一〇年には四八%に低下している。

 「配偶者のいない出産」(nonmarital birth)は、一九六〇年代から急増し、二〇一〇年には三〇%近くにまで増加した。これは母親の学歴との相関があり、十二年間以下の教育しか受けていない母親で急速に増えている。

 マレー氏は、上流階級の人々が多く居住する町としてマサチューセッツ州のベルモントを、下層階級の人々が多く居住する町としてフィラデルフィア郊外のフィシュタウンを想定して、一九六〇年から二〇一〇年までの様々な統計の推移を提示している。

 まず、結婚率は、ベルモントにおいて九五%(一九六〇年)から八五%(二〇一〇年)に低下したのに対して、フィシュタウンでは八五%(一九六〇年)から四五%(二〇一〇年)に大幅に低下している。

 子供が親と住んでいる比率は、ベルモントにおいて九五%から八五%に低下したのに対して、フィシュタウンでは九五%から二五%にまで低下している。労働時間が四十時間以上の労働者の比率は、ベルモントにおいて九〇%から八〇%に低下したのに対して、フィシュタウンでは八〇%から六五%にまで低下している。離婚率の上昇、片親と住んでいる子供の比率の上昇は、フィシュタウンで顕著だ。フィシュタウンでは、犯罪率、シングルマザーの比率も急増している。……

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