神門善久 日本農業・絶望のシナリオ

農業の実態が黙殺されている

―― TPPを契機に、農業の在り方が議論されるようになった。日本農業に未来はあるのか。

神門 TPPの賛否を声高に唱えている人は、日本の農業や食料が抱える本当の問題には関心がない人たちだといわざるをえない。日本はもはや国際協議でのプレゼンスが低くTPP交渉にどれだけ影響を与えられるかもわからないし、仮に大幅な農産物関税の撤廃になるとしても、移行期間が設定されるので、少なくとも10年ぐらい先の話だ。

 その一方、ここ半年だけでも、日本の農産物貿易では、かなり重大で具体的な問題が発生しているのに、TPPの賛否なぞという抽象的で不毛な議論の影に隠れてしまっている。

 たとえば2月からBSE対策の輸入規制は緩和され、アメリカ産牛肉の大量輸入がいつ始まってもおかしくない状況にある。アメリカ牛の問題点は、BSEのリスクではなく、成長ホルモンという化学物質を投与していることだ。牛肉の残留成長ホルモンが人間の体内でさまざまな健康危害をおこす恐れがあり、いまは国内の肉牛農家には使用を禁じている。

 しかし、成長ホルモンは肉牛肥育のコストを飛躍的に削減する。このままではアメリカ産牛肉への対抗上、国内農家にも成長ホルモン使用を認めざるをえなくなる。また輸入豚肉に課せられる「差額関税制度」を悪用する巨額脱税事件もあった。差額関税制度そのものがWTO違反の可能性が高いし、制度として矛盾だらけだ。これらの問題は早急に対策を打たないとどんどん事態が悪化する。

 たぶん、人々は農業問題や貿易問題の深刻さを知るのが怖いのだろう。「てぃーぴーぴー」という抽象的な議論に逃げたいのだろう。それは、癌と判定されるのが怖くて検診を拒否し、漫然と癌を進行させているのと同じことだ。

―― 日本人は現実の農業問題を見ていないということか。

神門 そうだ。その背景には農業が、日本社会の閉塞感を紛らわせる現実逃避に利用されているという側面もある。

 かつて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」といわれるほどの国際競争力を誇った日本の商工業は、いまや、アジアの隣国の激しい追い上げにあって、すっかり消沈している。

 「なにかメードイン・ジャパンで誇れるものが欲しい」という焦りが、昨今の農業ブームの背景にある。しかし、現実の農業をめぐる環境は着実に悪化している。

 本当は農業の実態などどうでもいいのだろう。だから「農業は成長産業」「海外に誇る日本ブランド」「攻めの農業」「六次産業」「農業ブーム」……という夢物語が罷り通ることになる。その間、農業の実態は省みられることなく、それゆえに悪化の一途を辿っている。

 まず我々は農業の実態を直視しなければならない。話はそれからだ。

日本農業はハリボテだ!

―― 日本人が無視している農業の実態とはどのようなものか。

神門 日本農業のパフォーマンスは劣悪だ。日本の農業保護額は4・6兆円だが、日本農業の付加価値額は3・0兆円しかない。日本農業は1・6兆円の赤字で、農業生産を止めた方が国民所得は増えるという異常事態だ。

 農業者の耕作技能が低下した結果、農産物の品質も低下している。例えばホウレンソウに含まれるビタミンCはここ20年で半減している。営農規模の大小、農業者の老若男女、新規参入か既存かを問わず、耕作技能の低下が深刻だ。

―― 日本農業の再生はあるのか。

神門 農業の崩壊と再生を語るには、農業の基本を思い出す必要がある。そもそも農業とは、太陽光を使ってより健康的な食用の植物を育てることだ。つまり効率的に太陽エネルギーを生物エネルギーに転化することだ。そのためには耕作技能が必要だ。

 しっかりとした耕作技能によってエネルギーが効率的に転化されれば、栄養価が高く、野菜本来の風味が凝縮された良い作物が育つ。もちろん収益性も上がる。効率的に転化できるということは、自然環境と調和しているということだから、自然保護にも良い。

 一方、耕作技能が低いと、自然環境と調和できず、自然を壊しながら非効率な農業生産になる。そして収穫物は栄養価も低く、味も悪くなる。

 素人に毛が生えたような農家でも、自然環境を破壊しながら低質な作物を作ることはできる。それを補助金や宣伝で粉飾して、見かけ上の利益をだすこともできるだろう。だが品質が悪く、ハリボテのような作物を増産して何の意味があるのか。

―― 日本人が耕作技能を失っているとはいえ、「有機栽培」など良い作物を育てる農業も残っているのではないか。

神門 それは幻想だ。化学肥料・農薬を避けて堆肥・有機肥料を使えば、自然環境を守りながら高品質な作物が育てられる、というのが有機栽培の謳い文句だ。しかし耕作技能がないのに有機栽培をしても、自然環境破壊や農産物の品質低下をおこし、食味も悪い。残念ながら、そういう「へたくそ有機栽培」があまりにも多い。

 堆肥・有機肥料の原料は家畜の糞尿だ。糞尿を適切に処理すればたしかに良い堆肥・有機肥料ができるが、そのための技能を持ち合わせている農業者が少なく、絶滅寸前だ。

 適切に処理されていない糞尿を農地に撒くと、土壌が窒素過多になり、作物の品質は良くならない。また植物に吸収されなかった糞尿の成分が河川や地下水へ流出し、水質を汚染し自然を破壊することも多い。住民が利用する水道水を汚染している可能性もある。

 作物の品質を分けるのは、有機栽培かどうかではなく耕作技能があるかないかだ。残念なことに、いまの日本の消費者の多くは、まともな有機作物と名ばかりの有機作物を見分けられない。舌が劣化しているからだ。消費者は、「有機栽培」や「生産者の顔写真」といったパッケージに頼る。

 農家からすれば、農地で動植物とのコミュニケーションを大切にして環境によくて良質な作物を育てるよりも、宣伝や演出に力を入れたほうがマスコミでちやほやしてもらえるし、お金も儲かるという状況だ。これでは耕作技能が失われる一方だし、そういう事態をもたらした消費者にも責任がある。……

以下全文は本誌10月号をご覧ください。