農業は国体の一部だ
―― TPPを前に農業の危機が叫ばれている。日本人は農業についてどう考えるべきか。
井尻 現在、農業に関する議論は数字に終始している。食料自給率、関税率、農業生産額、農産物の価格などの議論がそうだ。しかし数字で農業を考える以上、数値化できない農業の本質に迫ることはできない。
農業の本質は、農業が國體の一部だという点にある。農業、特に稲作は共同体の在り方を規定し、文化の母体となった。記紀神話や天皇、神道の背景には稲作がある。
天照大神は天孫降臨の際に「豊葦原千五百秋瑞穂の国は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。爾皇孫、就きて治らせ」、「吾が高天原に所御す斎庭の穂を以て、亦吾が児に御せまつるべし」という神勅を出している。つまり、日本は稲穂が豊かに実る「瑞穂の国」であり、神々が高天原でおこなっている稲作は地上でも続けられるべきだ、という世界観が表されている。現に陛下は皇居でお田植えをされている。
お田植え以外にも稲作にまつわる宮中祭祀は枚挙に暇がない。例えば、新穀を天神地祇に奉りその年の収穫を感謝する新嘗祭がある。これは飛鳥時代から続くと言われる最も重要な宮中祭祀の一つだ。また天皇が即位の礼のあとに初めておこなう新嘗祭は大嘗祭と呼ばれる。これは一代一度かぎりの大祭で、実質的に践祚の儀式となっている。
イザナギ・イザナミが産んだ国土で天照大神の恵みをうけ、天皇が五穀豊穣を祈願し、百姓が稲作に励む。これが日本の世界観だ。
―― とはいえ産業革命の結果、日本は農耕社会から産業社会に移行した。農産業に従事する国民も少ない。
井尻 生活と文化は表裏一体のものだから、確かに農耕生活と離れたところで農耕文化を維持することは難しい。例えば「田毎の月」を見たことがなければ、田毎の月を詠った和歌を本当の意味で味わうことはできない。そもそも田んぼがなければ田毎の月は見られない。
しかしこのような農耕文化は、記紀神話や天皇と不可分のものだ。農耕文化は國體の一部なのだ。したがって稲作が衰退すれば、必然的に國體も衰退することになる。日本人が國體を守り抜くためには、思想や感性、世界観の連続性を担保する必要がある。そのためには、ある程度の稲作や棚田を維持しなければならない。
この世は諸行無常だ。万物は自然消滅する。それにも関わらず、わが国では万世一系の皇統が連綿と続いてきた。これは自然の摂理からすれば異常事態だ。世界に類のない皇統が続いてきたということは、先人が世界に類のない努力をしたということだ。
確かに産業社会で農耕文化を守ることは至難の業だし、伝統文化は衰退する一方だ。しかし時勢に抗することができなければ、時の流れから國體を守ることはできない。
地域共同体の人間関係を強化せよ
―― 現在、新自由主義という時勢が日本を襲っている。
井尻 TPPは日本国家を新自由主義的に構造改革し、その結果、農業や風土も打撃を受けるだろう。しかしそれ以上の危機は、新自由主義が人間関係を利害関係に一元化する、という点だ。
人間は社会的動物だから、何らかの共同体に属し、様々な立場で、様々な関係を結ぶことで存在している。共同体もまた人間関係によって成立する。しかし新自由主義は、多様な人間関係を利害関係に一元化する。その結果、共同体内の人間関係を破壊する。例えば地域共同体における住民(消費者)と生産者の関係だ。
私は都市論が好きで、イタリアの中小都市を取材したことがある。特産品はないが、地域経済が循環していて活気に溢れている。もちろん普通に生活できる収入を得られるから、その土地を離れる必要もない。この地域の経済循環を可能にしているのは「地産地消」だった。レストランは食材の8割を、住民は三度の食材を地元で調達していた。彼らは親類・近隣の人間関係を大切にするため、その地域に住む者同士という連帯感を持っていた。地産地消とは、住民と生産者が共生関係を結ぶということなのだ。……
以下全文は本誌10月号をご覧ください。