稲村公望 マハティールに見捨てられる日本

(前略)

欧米流の発展とは別の道がある

── ところが日本は、マハティール氏が手本とした日本独自の手法を自ら捨て去っていった。

稲村 一九八〇年代にも日米の通商摩擦はあったが、それでも日本は独自の経済運営を維持していた。ところが、東西冷戦が終結する一九八九年頃から、日本の規制や制度に対する批判が強まっていった。例えば、ジェームス・ファローズ氏は一九八九年五月に「日本封じ込め」と題した論文において、「自己中心的な日本人には、かつては封建領主への、そして現在は会社にたいする忠誠心や家族の名誉心はあるが、欧米の価値観である慈善心、民主主義、世界規模の兄弟愛はもち合わせていない。これが日本と欧米の決定的な道徳上の行動形態の違いである」と述べ、日本の文化、道徳的価値観、習慣のすべてを日本は変えるべきだと要求した。

 まさにこの時期に、日本の制度をアメリカ流に変えようとする試みとして日米構造協議が開始され、やがてそれは日米経済包括協議、年次改革要望書として受け継がれていく。構造改革の名のもとに、日本の制度を破壊しようという目論見は、小泉政権時代に一気に加速した。そして今、TPPによって再び大掛かりな日本の制度破壊の謀略が進められている。

── 日本に対するマハティール氏の失望感は、察して余りある。

稲村 日本はアメリカへの従属を深め、自らの国の運営を放棄して欧米流を礼賛してきたが、マハティール氏は欧米流の発展とは異なる独自の発展の道を高らかに掲げた。彼は一九九一年に、二〇二〇年までの国家ビジョンを示し、「強い宗教的・精神的価値意識を持ち、最高水準の倫理を持つ」ことを目標として掲げたのだ。

 これは、新自由主義者たちが期待する国家の対極にあるものだった。だからこそ、マハティール氏は孤高の戦いを続けなければならなかった。

 一九九〇年に彼は東アジア経済グループ(EAEG)構想を提唱した。先進国との通商交渉を東アジアが団結して乗り切ることがその第一義的な目的ではあったが、そこには価値観を共有する東アジア諸国間の交流を深め、欧米主導の経済秩序を転換させようという狙いがあったのではないか。自由競争を徹底させ、強者が一方的に勝つような秩序ではなく、平等、相互尊重、相互利益の原則が貫かれる経済統合のモデルを作ろうという考え方だ。

 いまTPPによって、国家主権より大企業の特権が保護される時代が訪れる危険性が指摘されているが、マハティール氏はまさに欧米大企業による世界支配の危険性をいち早く察知していた。彼は、一九九八年六月、東京で開かれたセミナーで「明らかに、わずかな巨大企業だけで世界を支配することは可能だ。それに備えるかのように、大企業や大銀行は吸収・合併でより巨大化しつつある」と語っていた。

── マハティール氏は、再三にわたって日本がEAEGを主導することを要望したが、日本はアメリカの顔色を窺うばかりで、マハティール氏を失望させた。

稲村 その後、EAEGの枠組みの会議は、ASEANプラス日中韓として実現したが、日本はリーダーシップをとらなかった。その結果、マレーシアのみならずASEAN各国は中国への傾斜という道を選ぶ羽目になった。……

以下全文は本誌4月号をご覧ください。