西部邁 ここまで属国根性が染みついたのか

安倍首相は保守でもなんでもない

 本日、安倍首相が衆院本会議で第98代首相に選出されました。安倍首相はいわゆる保守層の支持を得ていると言われています。しかし、安倍首相は保守でもなんでもありません。「生産性革命」や「人づくり革命」など「革命」という言葉を連呼する様を見ると、むしろ左翼思想の持ち主とさえ言えます。

 ここでは弊誌11月号に掲載した、評論家の西部邁氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は11月号をご覧ください。

日本には「独裁者」を生み出す力すらない

―― 国際情勢の混乱と連動するように、国内政治も混乱しています。現在の状況をどう見ていますか。

西部 今日、わがマンションは壁の塗りかえで、隣接する高校は秋の運動会、まさに平和の真っ最中です。北朝鮮危機がかつてないほど高まっているにもかかわらず、日本人の多くはマンションで昼寝をし、スポーツに興じて、テレビのスイッチをひねれば小池百合子、「希望の党」の嘘話をエンジョイするという状況でしょう。

 かつてオルテガは「大衆社会には絶望するしかない、そこで許される唯一の希望は絶望する者が増えることだけである」と言いました。だから希望の党が「大衆社会に絶望する者を増やします」とでも言うなら分かるが、今の政治家にそんな教養の欠片もあるはずはない。

 本来ならば希望の党などと聞けば、国家の歴史に学ぼうとしない政治家たちの言葉遣いというのは、ここまで幼稚化するものかとクスクス苦笑して当然ですが、今の国民はそんな愛嬌は持ち合わせてはいない。

 しかし、こういう混乱は今に始まったことじゃない。民主主義は必ずや無秩序をもたらし、この無秩序に耐えかねた国民は民主主義的に民主主義を否定するのです。ヒトラーが国民投票で独裁権を与えられたようにね。

 この100年間、民主主義なるものの堕落、腐敗、混乱、それが繰り返し繰り返し起こっているのです。民主主義などというものは、古代ギリシャの昔から金権政治あるいは人気政治を生み出した挙げ句の果てに独裁者を生み出して終わりだというのが政治の相場です。

―― 保守とは伝統に学びながら危機に対処すべき存在ですが、「日本をリセットする」と公言して憚らない安倍首相と小池都知事が「保守」とされています。

西部 伝統とは、慣習の奥底に潜んでいるはずの、危機に際していかにバランスをとるかという国民のいわば平衡感覚のことを呼ぶのです。その平衡感覚がどこにあるかと言えば、過去でも未来でもなく現在の危機的状況において、その内容と仕方でもって、「これは歴史伝統の知恵を重々くみ取っているな」と思わせる人間の言葉遣いや振舞いの中にしかない。

 が、そういう言動はほぼ皆無です。いわんや戦後70年以上もアメリカニズムに踊り狂っていたら、一体日本人の慣習とは何か、その中に潜む伝統、平衡感覚とは何か分からなくなっても仕方がない。

 だから保守がいないと嘆こうが怒ろうが、今に始まったことじゃないんです。僕はもう昔から言い続けてもう疲れ果てた。たとえば日本新党という政党があった。新党とは何だ、新しければいいのか。それはまさに「新しさ」に価値を置く近代主義そのものですよ。新生党や新進党もそうです。新しく生まれるバカもいれば、新しさへ進むアホもいるだろう。そういう歴史伝統を切り離した似非看板を掲げた政党が山ほど浮かんでは消え、とうとう希望の党まで出てきたが、過去に学ばず現状を「リセット」するような政党に希望などあるはずがない。……