ISDによって投資家主権国家になる
―― TPPの投資協定、ISD(Investor-State Dispute Settlement)条項の危険性について、様々な指摘がなされているが、最も危険な問題とは何か。
岩月 ISD条項は、国家や国際法の在り方自体を根底から揺るがす問題だ。日本に進出しているグローバル企業が日本の主権者になる、つまりわが国が国民主権国家から投資家主権国家に変わってしまうということだ。
国際政治の分野では、国家を超えるアクターとして多国籍企業が存在すると指摘されるようになってすでに久しい。ところが、TPPの投資ルールとISD条項によって、いよいよ多国籍企業の優位な地位が確立されることになる。
これまでは、国家対国家ですら、提訴するには相手国の了解が必要だった。日本が竹島の領有権を主張して、国際司法裁判所に提訴すると言っても、韓国は「領土問題は存在しない」として裁判には応じない。また、尖閣諸島について、仮に中国が国際司法裁判所に提訴すると主張しても、日本政府は応じないだろう。
これに対して、ISDは、これまで国家ですらなし得なかった、相手国を強制的に国際裁判の場へ引きずり出すという強力な権限を、外国投資家に与えることになる。しかも、その判断には強制力があり、国内判決と同様に強制執行できる効力があることが合意されているのだ。ISDによって、外国企業が、わが国のあらゆる制度に牙を剥くことは明白だ。国家をまるごと外資に売り渡す結果を招く。
―― ISD条項は憲法にも抵触する。
岩月 多国籍企業は、ISD条項に基づいて国際投資紛争解決センターなどの仲裁機関に訴えることができる。このような紛争に関して国内の司法府が関与する余地はない。こうした事態は、「すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。」とする憲法七六条一項に抵触する。つまり、ISD条項はこの条文の後に、「但し、外国投資家と国・地方公共団体との紛争について、外国投資家が私設仲裁裁判所による解決を求める場合はこの限りではない」との但書を付加するに等しいのだ。
司法主権が侵害されるだけではない。立法主権・行政主権も侵害されることになる。多国籍企業は裁判に勝訴しなくても、訴えるという脅しをかけるだけで、相手国を萎縮させ、政策に大きな影響を与えることができるからだ。これは、憲法四一条(国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である)に違反する。つまり、TPPによって、国家はその主権を奪われることになる。
実際、韓国政府は外国の業界団体の脅しに屈して政策を転換した。韓国政府は、二〇一三年七月から、いわゆるエコカー支援制度を導入すると決定したが、米国の「自動車政策会議」が「米韓FTAが禁止する『貿易の技術的障害』に当たる可能性がある」とする意見書を出した結果、二〇一三年の制度導入は見送られたのだ。
こうしたISDの危険性は、米韓FTAに含まれるISD条項について、韓国法務部・最高裁(大法院)が検討した結果が公表されたことによって、明確になった。
あらゆる制度が提訴の対象となる
―― いま産業競争力会議では、解雇規制の緩和が議論されている。四月二十三日に示された雇用制度改革の骨格では、六月に策定する成長戦略には解雇規制の緩和を盛り込まない方向になったものの、これもまた非関税障壁としてやり玉にあがる可能性がある。
岩月 その通りだ。わが国では、整理解雇四要件が判例として確定している。また、解雇権濫用法理も判例・労働契約法上、確立しており、解雇は事実上、原則不自由である。これに対して、米国非関税障壁報告書は、解雇規制を非関税障壁として挙げている。解雇規制だけではなく、最低賃金の見直しなど、日本の労働制度が「外国投資家の利益を害する」という理由によって次々に提訴される可能性もある。
わが国の健康保険制度も提訴される可能性がある。TPPでは、混合診療の問題は議論されていないと報じられているが、それは議論されるまでもないから議論されていないに過ぎないのだ。外国企業は、わが国の混合診療の禁止をいつでも訴えることができる。
―― 日本語自体が非関税障壁として批判されかねない。
岩月 わが国では、法廷においては日本語を用いると定められており、英語文献を持ち出そうものなら、必ず日本語に翻訳しろといわれる。こうした状況で、例えば、日本語が日本の裁判所で仕事をする際の障壁になっているとして、外国投資家が訴える可能性も否定できない。
ここで注意すべきは、投資家たちがどのようにでも理由をつけて提訴できる、便利な武器を持っていることだ。その一つが、「間接収用」という概念だ。「収用」とは、道路の拡張、都市再開発など、公の目的に用いるための政府や地方自治体が私有財産を強制的に取得することだ。日本国憲法には、収用に対して正当な補償をしなければならないと謳われている。これに対して、「間接収用」とは、所有名義の移転などがなくても、企業活動に対する一定の制限をするというようなことをすれば、その制限が所有権の一部を収用しているのと同じだという考え方だ。外国企業の期待した利益を阻害するような行為は、「間接収用」に当たる可能性があるということになる。……
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