青木理 なぜ今、徳洲会事件なのか

徳洲会事件の真相

―― 今回の事件をどのように見ているか。

青木 事の発端は徳田氏の側近と徳田氏のファミリーによる内部闘争だ。それにより徳田氏の側近中の側近であった能宗克行氏が切られることになった。これに反発した能宗氏が、新潮社のOBや産経新聞の記者とともに徳洲会の公職選挙法違反に関する資料を特捜部に持ち込んだため、今回の事件となったのだ。

 もっとも、特捜部は当初、彼らの告発を正面から受け止めなかったようだ。検察は一連の不祥事のため青息吐息の状態なので、臆病なほど慎重になっていたらしい。

 ある人が面白い形容をしていたが、能宗氏が上質な肉の塊を持って駆け込んだのに、特捜部は「こんなもの食えるか」といって追い返した。そこで能宗氏は肉をスライスし、ステーキ用に形を整えて持っていったが、これも「まだ食えない」と追い返された。そこで今度は肉に塩こしょうをし、美味しそうに焼き、付け合わせの野菜まで添えて持って行ったら、「それならば食ってやるか」といってようやく食いついてくれた、と。つまり能宗氏が確実な材料まで提供したので、検察はようやく重い腰を上げたというわけだ。

 私は今度のことがあった後、能宗氏と徳田氏のファミリーの双方に話を聞いた。能宗氏によると、この3~4年の徳田氏は、かつてとは少し変わってしまっていたという。これまでであれば、少しでも資金があれば全て病院建設につぎ込み、しゃにむに猪突猛進を続けていたのに、ここのところ守りに入る姿勢が目立ったそうだ。

 また、元気だったころの徳田氏は、グループの経営にファミリーが関与することを嫌ったし、彼らに不労所得も許さず、財産も残さないのだと公言していた。しかし、最近はファミリーに目をかけることが多くなっていたという。実際、ファミリーの人たちは都心の高級マンションに住み、運転手つきの高級車に乗っていると。グループの関連会社の役員に就き、経営にも深く関与するようになり、グループの病院幹部からは反発の声が出ていたともいう。

 徳田理事長が元気な頃はそんなことはなかった、このままでは徳洲会はファミリーのおもちゃにされ、徳洲会が力を入れてきた離島や僻地の医療、救急医療などが崩壊してしまう――、これが能宗氏の言い分だ。

 他方、徳田氏のファミリーは、能宗氏が徳田氏とファミリーを裏切って徳洲会を乗っ取ろうとしている、そうなれば理事長が守ってきた徳洲会の理念が失われてしまう、と言っていた。つまり、双方ともに似たようなことを主張しているのだ。

 私は、このどちらが正しくどちらが間違っているか、軽々に断ずるつもりはない。ただ、徳田氏はALSを発症して10年近くになる。現在は完全に全身不随の状態だから、能宗氏の言うように、経営の勘が鈍ってきているという側面がないとは言い切れないだろう。

 また、自分が一番信頼した側近であり、右腕として尽くし続けた能宗氏を切ったのは、理由が何であれ、最後の最後に下手を打ったなという感想を抱かざるを得ない。

―― 公職選挙法違反は警察の「縄張り」だ。あえて特捜部が動いたことに何か特別な意味があるのだろうか。

青木 真相は不明だが、大して深い意味などないと考える。相次ぐ不祥事で青息吐息だった特捜部だが、徳田氏の懐刀であった能宗氏が資料を持ち込んできたのだから、鴨がネギを背負ってやってきたようなものだ。最初は及び腰だったものの、完璧な内部資料まで揃っているのだから、捜査が失敗する可能性は低い。これならいけるだろうということで特捜も手をつけたということだろう。

 他方、特捜が動いたことに対して警視庁は強い不満を訴えたらしい。確かに公選法違反事件は警察の縄張りだし、特捜が徳洲会にガサを入れた後、慌てて警視庁との合同捜査に切り替えたのはそのためだ。

 とはいえ、事件がどこまで広がるかは分からない。徳洲会側の弁護人には、小沢一郎氏の弁護も担当した弘中惇一郎弁護士が就いた。これで特捜もそうそう無茶なことはできなくなったのではないか。

徳洲会事件は時代の転換を象徴している

―― 徳洲会の掲げる「生命だけは平等だ」という理念は、新自由主義的な風潮の強い現在の日本においては特に大きな意味があるように思う。公職選挙法違反についてはきっちりとした解明が必要だが、今回の事件によって徳洲会が打撃を受ければ、平等な医療を受ける機会が失われてしまうことにならないか。

青木 同じような懸念を私も抱いているが、あくまでも私は徳田虎雄個人に興味があって取材を続けてきただけで、徳洲会という組織自体を系統立てて取材したわけではないので、その点について詳細に把握しているわけではない。ただ、徳洲会が離島や僻地の医療に取り組み、日本医師会や医療行政などとも衝突し、閉鎖的で独善的な面を持つ医療界に波紋を投げかけてきたことは間違いない。特に離島や僻地の医療に関して徳洲会が果たしてきた功績は、誰がどう見ても文句のつけようのない素晴らしいものだ。

 実際、徳洲会を蛇蝎のごとく嫌う医師会の中にも、この点については認める人がいた。いくら医師会が徳洲会のやり方を批判しようとも、鹿児島などの離島医療を徳洲会が支えてきたのは否定できない事実ではないか、と。……

以下全文は本誌12月号をご覧ください。