安倍政権とナチスに共通点はあるか
安倍政権はしばしばヒトラー政権と比較されます。しかし、安倍政権とナチスの政治体制は様々な点で異なっており、安易な同一視はできません。共通点があるとすれば、むしろ国民の側です。いまの日本国民は当時のドイツ国民と同様、政治に関心を持たず、知らず知らずのうちに政府に協力してしまっています。最近公開された『ゲッベルスと私』という映画では、ゲッベルスの秘書であったポムゼルという人物を通して、当時のドイツ国民が無自覚のうちにナチスに協力していた様が描かれています。
ここでは、映画と同時期に出版された書籍版『ゲッベルスと私』(紀伊國屋書店)の監修を務めた、東京大学教授の石田勇治氏をインタビューを紹介します。全文は弊誌8月号をご覧ください。
明確な自覚なしにナチスに協力したポムゼル
―― ナチスに無批判に追従していたポムゼルは、現在の安倍政権に無批判に追従している日本国民のあり方と似ていると思います。当時のドイツといまの日本に共通する点はありますか。
石田 『ゲッベルスと私』で描かれている当時のドイツと現在の日本では、時代背景も政治状況も根本的に異なります。ドイツだけを見ても、ワイマール共和国末期とヒトラー政権が誕生した1933年1月以降とでは大きな違いがあります。それゆえ、安易な比較や同一視はできません。
とはいえ、共通点があることも確かです。その一つが政治に対する不信感です。ドイツは第一次世界大戦に敗れ、帝政が崩壊したあと、世界で最も民主的と言われたワイマール憲法を制定しました。そのため、当時のドイツは時代の最先端を走っていたかのように語られることがありますが、実際は新旧の価値観が錯綜し、政治はいつも混乱。収賄事件、脱税事件など様々なスキャンダルが噴出していました。
1929年に勃発した世界恐慌の煽りで失業者が急増すると、それまで共和国を支えてきた社会民主党の影響力が弱まり、代わりにナチ党、共産党といった反共和派急進勢力が台頭します。イデオロギー上の対立が激化し、中道政党はどれも自らの支持母体の利益を守ろうとしたため、政党間の歩み寄りが困難となり、国会は何も決められない状態に陥ります。国会議員は存在意義を問われ、議会制民主主義そのものへの不信感が高まりました。ヒトラー政権誕生前夜のドイツはこんな状況でした。
これらはいまの日本にも見られることですね。国会では自民党が数の力に任せて強引な政権運営を行っていますし、政治不信から投票率も極めて低い状況にあります。先日行われた注目の新潟県知事選挙の投票率も58%を少し越える程度でした。選挙で投票しても何も変わらない、政治家は信頼できない、政治に期待しても無駄だと考える人が有権者の4割以上いるということです。
しかし、政治に無関心だからといって、政治体制と無関係でいられるわけではありません。知らないうちに政治的動員の対象にされてしまうこともあります。ポムゼルがまさにそうでした。彼女は明確な自覚がないままにナチ体制に協力していたのです。
もっとも、これはポムゼルに限らず、当時のドイツ国民一般に当てはまることです。たしかに、類い希な弁舌の才と人目を引く演出に魅了され、ヒトラーに心酔した者は、若い世代を中心に大勢いましたが、ヒトラーが首相になる前であれば、それは国民のせいぜい1~2割程度です。実際、ヒトラーが首相になる直前の国会選挙(1932年11月)でナチ党が手にした得票率は33・1%に過ぎません。
ポムゼルのように、ヒトラーへの共感も熱狂もなく、ただ目先の利益や仕事、生活防衛、立身出世のためにナチ党員になり、ヒトラー政権を受けいれた人は少なくなかったと思います。しかし、ひとたび独裁政治が確立されると、政権の矛盾、不条理に気づいても批判の声をあげたり、異論を述べたりすることはできなくなります。身に危険が及ぶからです。そうであるなら、他人が迫害されていても目を瞑る、おかしなことがあっても自分に直接関係がなければ深く考えない。職務に忠実なポムゼルは、見てはいけないと言われたものを見ないで、ある意味誠実にあの不法国家を支えたのです。ゲッベルス宣伝相によるメディア統制、情報操作も、免疫力のないポムゼルのような庶民には効果覿面でした。……