ヘイトスピーチは言論ではない

ヘイトスピーチは断じて許されない

 昨日14日、JR川崎駅前で日本第一党が街宣活動を行いました。これに対して、多くのカウンターの人たちが集まり、抗議活動を展開しました。日本第一党は言論・表現の自由を妨害するなと主張していますが、言論の自由とはヘイトスピーチをまき散らす自由ではありません。ヘイトスピーチは断じて許されるものではありません。

 ここでは弊誌3月号に掲載した、ジャーナリストの安田浩一氏のインタビューを紹介します。全文は3月号をご覧ください。

ヘイトスピーチは「言論」なのか

―― 百田氏やニュース女子などの沖縄に関する言説は、ヘイトスピーチと言っていいものです。これは言論の名に値しません。安田さんは『ヘイトスピーチ』(文春新書)などでこの問題について論じていますが、ヘイトはもっと厳しく規制すべきではないでしょうか。

安田 ヘイトスピーチの規制に反対する人たちは、法整備が言論の自由を犯す危険性があるとして、言論の自由市場の中でヘイトスピーチを淘汰すればよいと主張しています。私自身、法的整備については揺れてきたところがあります。なぜなら、週刊誌記者時代に、ある記事がきっかけで名誉毀損で訴えられたことがあるからです。

 私は最終的にこの裁判に勝ったのですが、そのとき法廷で主張したのは、ファクトが正しいということと、この記事は表現の自由の範囲内であるということです。自分自身が表現の自由という言葉を使って裁判を闘った経験からも、そして末席ながら言論に携わっている人間としても、表現の自由や言論の自由は最大限守らなければならないと考えていますし、それが失われる社会なんて想像もしたくありません。

 しかし、ご指摘の通り、ヘイトスピーチは言論とは言えません。ヘイトスピーチの問題は、言葉が乱暴であったり下品であったりすることではありません。乱暴で下品な言葉なら私もいくらでも使ったことがあります。ヘイトスピーチが許されないのは、本人が抗弁できない属性を理由やネタにして、その人の存在そのものを抹殺しようとするものだからです。

 つい最近も、川崎に住む中学生がヘイトスピーチに抗議するラップを作ったことが新聞に掲載されたところ、彼の個人名を取り上げてものすごい数の誹謗中傷がなされるということがありました。彼はまだ中学生です。本当に過度な負担だと思います。

 もし少数者が何か発言をすると誹謗中傷にさらされるということになれば、彼らは反発を恐れて発言を躊躇してしまうでしょう。少数者たちの言論の自由や多様性を奪っておきながら、自分たちの差別発言は言論の自由として認めろというのは絶対におかしい。断じて許してはなりません。

 もっとも、最近ではヘイトスピーチに関する認識もだいぶ変わってきたように感じます。保守的な人たちの間でも、ネトウヨと一緒にされるのは嫌だということで、ヘイトを取り締まらなければならないと考えている人が増えています。

 たとえば、保守的な雑誌がいくら正当な形で中国の覇権主義を批判しても、その同じ雑誌に「中国人は劣等民族だ」といったことが載っていれば、同じヘイトだと見られてしまいます。ヘイトを許さないことと中国の覇権主義を認めないことは両立しますし、そうでなければなりません。私としては、保守的な立ち位置からきちんとした論陣を張ってきた人たちがヘイトに反対する声をあげたほうが、より社会に浸透しやすいのではないかと思っています。……

安田浩一 取材しない新聞記者
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