平成最後の全国戦没者追悼式
8月15日の今日、天皇皇后両陛下は日本武道館で開かれる全国戦没者追悼式に出席されます。天皇陛下は来年退位されるので、これが最後の参列となります。これまで天皇陛下は戦地を訪問され、慰霊の旅を続けてこられました。我々はその意味を改めて考えなければならないと思います。
ここでは弊誌8月号に掲載した、東京工業大学教授の中島岳志氏のインタビューを紹介します。全文は弊誌8月号をご覧ください。
死者の声に耳を傾けよ
―― 現在の日本を覆う不安を解消するためには、何をすればいいでしょうか。
中島 私たちは単独の個として存在するのではなく、環境や歴史的文脈に決定づけられた存在であるという感覚を取り戻すことが必要です。たとえば、私は大阪で生まれ、コテコテの大阪人の両親に育てられました。これは私が自ら選択したものではありませんが、私を決定的に規定するものです。こうした文脈を引き受けていくことが重要です。
その中でも特に重要になるのが、死者との関係です。私たちはこの世の中のことを、いま生きている人間だけで決めていいと考えがちです。しかし、私たちが生きている現在という時間は、過去の人たちの蓄積の上に成り立っています。それゆえ、私たちは死者の声に耳を傾けながら行動しなければならないのです。チェスタトンはこれを「死者のデモラクシー」と呼んでいます。
柳田國男も同じことを言っています。柳田は『先祖の話』で、ある老人の話を書いています。その老人は柳田に対して、自分はやるだけのことはやったから、あとはご先祖になるだけだと言います。つまり、自分が死んだあと、子や孫から「ご先祖様が見ているよ」と言ってもらえるような立派な生き方をするということです。ここでも死者の声が重視されています。
もっとも、これはいま生きている人間が死者の声を代弁できるということではありません。私たちはしばしば、「原爆の犠牲者たちは憲法9条を守れと言っている」とか「靖国の英霊は憲法を改正すべきだと言っている」といったように、死者の声を勝手に解釈してしまうことがあります。しかし、死者はままならぬ存在であり、常に私たちが統御不可能な存在です。生きている私たちが自分の都合に合わせて利用したり、自由にできるものではないのです。
そういう意味では、私は戦地を訪問する陛下の態度こそ、死者に対するあるべき姿だと思っています。陛下はそこで、何も言わずにただ深く頭を垂れています。このように、過剰な意味づけをせず、ただ死者の眼差しに射抜かれ、そこから自分を捉え直す。それがいまの日本に求められていることではないかと思います。