山崎行太郎×適菜収 言葉を破壊する安倍政権

安倍政権を支持する自称保守派たち

 安倍首相は言葉を全く大切にしていません。これは言葉を重んじる保守思想に反することです。ところが、保守派を自称する人たちの中には、安倍政権を支持している人がいます。言葉を軽視する政権を支える人たちは、どのように見ても保守派と呼ぶことはできません。

 ここでは、弊誌3月号に掲載した、哲学者の山崎行太郎氏と適菜収氏の対談を紹介したいと思います。全文は3月号をご覧ください。

安倍政権が「立法府の長」?

山崎 今日は適菜さんと「言葉と政治」という問題を中心に議論していきたいと思います。先日、安倍さんが参院本会議の答弁で、「訂正云々」と読むべきところを「訂正でんでん」と読み間違えたことが話題になりましたよね。これに対して、ネットなどでは多くの批判が行われています。

適菜 あれは単なる読み間違いではありません。官僚の書いたペーパーをただ読んでいただけということです。内容を理解しながら言葉を発していれば、「訂正でんでん」なんて読みようがないですからね。「でんでん」って何だということになりますから。

 あの言葉は野党を批判する文脈の中で飛び出したものです。ということは、安倍は野党批判のペーパーさえ官僚に書いてもらっていたということです。自分の頭で物を考えていないんですよ。

山崎 確かに安倍さんは自分の頭で考えていないですね。実際、安倍さんの読み間違いや言い間違いは今回が初めてではありません。適菜さんも『安倍でもわかる政治思想入門』(KKベストセラーズ)に書いていますけど、安倍さんは国会で自分のことを「立法府の長」と言っていました。

適菜 行政府の長が「自分は立法府の長だ」などと言えば、普通なら内閣が吹っ飛びますよ。だけど、安倍は自分の発言の何が問題なのかさえ理解していないようです。安倍はこの発言を追及されると、「もしかしたら間違えていたかもしれない。基本的には行政府の長とお答えしている」などと言い訳していました。基本的ではないケースなんてあるんですかね? そのうち「自分は司法府の長だ」と言い出すかもしれません。

 さらに安倍のバカ発言は、議事録で書き換えられています。ジョージ・オーウェルの小説『一九八四年』の主人公である役人ウィンストンの仕事は、歴史の改竄、捏造です。彼は「党」にとって都合の悪い過去の記録を消し、新たに歴史をつくっていく。

 「党」は言葉の破壊、語彙の削減、意味の反転、略語の作成、イメージの置き換えを継続的に行う。例えば、強制収容所を「歓喜キャンプ」と言い換える。平和省は戦争を維持し、豊富省は国民から搾取し、真理省は歴史を改竄し、愛情省は尋問と拷問を行う。

 この小説は全体主義国家のパロディですが、同じことが安倍政権下で発生しています。移民を「外国人材」、家族制度の破壊を「女性の活用」、惨禍を招くグローバリズムを「積極的平和主義」、秩序破壊のための実験を「国家戦略特区」、不平等条約であるTPPを「国家百年の計」、南スーダンの戦闘を「衝突」と言い換えることで、都合の悪い事実を隠そうとしています。

 今、アメリカではトランプ現象がきっかけとなって、『一九八四年』が読まれているそうです。この本は今の日本人が読むべきですよ。「社会がおかしくなるときは言葉からおかしくなる」と言われますけど、まさに日本社会は危機的な状況に陥っていると思います。

歴史を知らない「自称保守」

山崎 最近の例で言えば、昨年末に沖縄にオスプレイが墜落した時、安倍政権は「墜落」ではなく「不時着」だと言い換えて、あたかも事故が軽微なものであるかのように印象操作していましたね。

適菜 米海軍安全センターはあの事故を、最も重大な事故と位置づけられる「クラスA」に分類し、米軍の準機関紙『星条旗新聞』でも「crushed」(墜落)という単語が使われていました。にもかかわらず、安倍政権はその事実を認めようとしません。

 オスプレイ墜落の1ヶ月後くらいに、再び沖縄で米軍のヘリが不時着する事故がありました。ただ、この時はヘリが大破したわけではありませんし、本当に「不時着」だったんです。だけど、この事故を「不時着」とするなら、オスプレイが大破した事故を「不時着」とは言えませんよね。言葉をごまかしているから、このような矛盾が生じてしまうんですよ。

山崎 それから、安倍政権は共謀罪に対する批判が強かったため、「テロ等準備罪」に呼び方を変えて批判をかわそうとしていますね。

適菜 あれもおかしな話です。安倍は共謀罪は国際組織犯罪防止条約の締結に必要であり、それができなければ東京オリンピック・パラリンピックを開くことができないと言っていました。オリンピックを招致する際には散々「日本は安全だ」と言っていたにもかかわらず。だったら、オリンピックなんて止めればいい。

山崎 安倍さんの読み間違いや言い換えを擁護している知識人や言論人もたくさんいますよね。僕はこちらの問題も大きいと思います。

適菜 特に問題なのが「自称保守」の連中ですね。本来、保守は言葉を大切にする立場です。これは『ミシマの警告』(講談社)でも引用しましたが、三島由紀夫は「今さら、日本を愛するの、日本人を愛するの、というのはキザにきこえ、愛するまでもなくことばを通じて、われわれは日本につかまれている。だから私は、日本語を大切にする。これを失ったら、日本人は魂を失うことになるのである」と言っています。

 しかし、自称保守たちは、日本語をまともに使うことができない安倍を支持しているわけですよね。異常事態と言わざるを得ません。

山崎 三島由紀夫や福田恆存たちが活躍していた時代の保守と、今の保守は全然違いますね。

適菜 保守思想の基本を理解すれば、保守思想が安倍のようなものを全否定していることはわかるはずです。例えば、三島由紀夫が最も警戒したのは全体主義でした。全体主義を食い止めるためには、権力の一元化を防ぐ必要があります。だから、三権分立や二院制などの制度も尊重しなければならない。でも、お花畑の安倍は一院制を唱えているわけですよね。

 安保法制の時に話題になった立憲主義だってそうですね。一部の自称保守が、「立憲主義が大切だと言っているのは左翼の憲法学者だけだ」と言っていましたが、立憲主義が出てきたのは保守思想の文脈ですよ。要するに、彼らは憲法も歴史も知らないのです。

 今の日本では、権力に迎合するのが保守だという間違った考えが浸透してしまっています。55年体制下のイメージがそのまま定着しちゃったんでしょうね。……