佐伯啓思 自主防衛路線へ舵を切れ

トランプ支持者の中で高まる不満

 次期大統領に選出されたドナルド・トランプ氏は、選挙期間中、自身が当選すれば対立候補のヒラリー・クリントン氏の訴追を目指すと主張していました。しかし、11月22日のニューヨーク・タイムズのインタビューでは、「私はクリントン家を傷つけたくない」などと述べ、その方針を取り下げる姿勢を見せました。

 また、トランプ氏は選挙期間中に人種差別的発言を繰り返していましたが、ニューヨーク・タイムズのインタビューでは、自分の当選をナチス・ドイツ式の敬礼で祝った「オルタナ右翼」と呼ばれる人たちを批判しています。「オルタナ右翼」とは、既存の保守派の代替案(オルタナティブ)として登場した集団で、白人至上主義者やユダヤ人差別主義者らを含んでいます。

 しかし、トランプ支持者の中にはこうしたトランプ氏の発言に不満を抱いている人もいます。もしアメリカ国内で不満が爆発するとすれば、トランプを批判しているリベラル派よりも、むしろトランプに期待している保守派や伝統派の方だと思います。

 ここでは、弊誌12月号に掲載した、京都大学名誉教授の佐伯啓思氏のインタビュー記事「自主防衛路線へ舵を切れ」を紹介したいと思います。なお、「自主防衛路線」に関する議論は、本インタビューの後半で行っております。ご購入の上ご一読いただければ幸いです。(YN)

トランプ暗殺の可能性

―― 大統領選中、トランプ支持者とヒラリー支持者はお互いに激しく罵り合っていました。選挙戦が終わったからといって、この対立関係が消えるわけではありません。特にヒラリー支持者たちの間には大きな不満が残っているはずです。

佐伯 それはトランプ政権の抱える課題の一つだと思います。たとえトランプとヒラリーが個人的に関係を修復したとしても、ヒラリーを支持した人たちがトランプ政権を支持するようになるとは思えません。アメリカ社会には大きな溝ができてしまったと思います。

 もっとも、アメリカ社会はもともと大きな亀裂をはらんでいました。アメリカでは昔から、多文化主義に立つリベラル派と、福音派を中心とする保守派が対立を続けてきました。この亀裂がそれほど目立たなかったのは、アメリカ国民がIT革命や金融革命に夢中になり、イラク戦争やアルカイダとの戦いなどに目を向けていたからです。

 その意味では、今回の大統領選挙によって新たな亀裂が生じたというよりも、伝統的な亀裂が改めて浮き彫りになったと言った方がいいでしょう。トランプが人種差別主義者だとは思いませんが、トランプ 支持者のなかに差別主義者はおり、人種問題をめぐって再び大きな亀裂が生み出される可能性はあります。

 しかし、トランプはさらに重要な課題を抱えています。それは、自分の支持者たちを今後もつなぎとめることができるかどうかです。というのも、実際に政権を運営していくためには、どうしても現実的な政策をとらざるを得ないからです。そのため、彼は選挙中に訴えた政策の修正を迫られるはずです。

 トランプは選挙中、グローバリズムや自由貿易、移民政策などを批判していました。しかし、完全にグローバリズムから脱却することは不可能ですし、移民政策を100%打ち切ることもできません。メキシコとの国境に万里の長城やベルリンの壁のような立派な壁を作ることはできません。それにここまで世界経済が一体化し、金融市場が統合された今日、保護主義へ舵を切っても本当に経済をよくできるかどうかわかりません。

 また、トランプはアメリカ経済を成長させるとして、イノベーションの重要性を訴えていました。しかし、これも必ず上手くいくとは言い切れません。仮に上手くいったとしても、その効果が出るのは10年先、20年先の話です。さらに、トランプは金融規制を緩和すると主張していましたが、これは金融エリートたちを後押しすることになり、格差拡大につながるでしょう。

 このようなことを踏まえると、トランプ政権が中間層や貧困層の生活環境を改善することは難しいと思います。そもそもトランプがいかなる経済政策をとろうとも、先進国で3%以上の経済成長を成し遂げることは困難なのです。

 しかし、もしトランプが中間層から下の層の生活改善に失敗し、さらにリベラル派に妥協するような態度を示せば、一種のバッククラッシュが起こる恐れがあります。最悪の場合、トランプ暗殺もあり得ると思います。もちろんリベラル派の青年や黒人、ヒスパニックによる暗殺も考えられますが、もっと可能性が高いのは人種主義者や差別主義者による暗殺です。彼らはトランプに過剰な期待を寄せているため、トランプに失望させられれば、それだけ反動も大きいはずです。

 大統領選挙が終わて一日たてば、日本ではトランプもさほど悪くない、といった楽観論に変わっています。しかし、トランプがどうあろうと、アメリカ社会が大きな混沌へ入り込むことは間違いないでしょう。

―― そもそもトランプが本当に貧困層や中間層のことを考えているとは思えません。トランプ自身は明らかに富裕層に属しており、貧困層の気持ちは理解できないと思います。

佐伯 トランプは当初、「アメリカはもっと金を作れ」といったように、とにかくお金の話ばかりしていました。彼は「このようにすればアメリカは良い社会になる」という理念や、コンサバティズム(保守主義)やリベラリズムのような「イズム」を持っていません。その意味では、トランプは極端なアメリカン・ニヒリストであり、ウォールストリートのエリートたちと本質的な違いはないと思います。……