小松啓一郎 日米は中朝関係の実態を見ていない

「金日成がいる限り北朝鮮には手を出すな」(毛沢東)

── 年明け早々、北朝鮮が水爆実験に成功したと発表しました。

小松 今回の核実験は、主に中国を念頭においたものだったのです。我々は、「中朝が伝統的に親しい関係」というイメージを抱いてきましたが、間違いです。

 北朝鮮国内では朝鮮民族派と親中派と親ソ派に分かれていて、その力関係によって同国の外交路線が決まってきました。民族派というのは基本的にいかなる外国の干渉も許さない立場です。

 1950年の朝鮮戦争勃発後、中国は対米戦ということで、北朝鮮に対する本格的な軍事支援に出ました。ところが、その中国が「援助」する側として強く干渉してきたのです。北朝鮮から見れば、限度を超えていました。特に、北朝鮮を衛星国化ないし植民地化しようという中国の野望を感じた北朝鮮の金日成主席は、激しく反発しました。朝鮮戦争の最中に、北朝鮮の駐北京大使を引き揚げ、中国も駐平壌大使を引き揚げるという事態に至っていた。両国が当時から同盟関係にあったというイメージは、一面に過ぎない。

 内戦を戦い抜いて国民党を台湾に追い出し、中華人民共和国を建国したばかりだった毛沢東主席も「金日成がいる限り、北朝鮮には手を出すな」と言うほど手を焼いたという話さえあります。その後、金正日政権に代わると、同政権がむしろ民族主義的な政策を強めたため、中国側では北朝鮮を属国化できないフラストレーションが高まっていきました。金正日総書記には軍人としての実績がないので、金日成時代よりも軍のコントロールは難しかったのですが、それを何とかこなしてきたのです。

 一方、北朝鮮は中国から武器・弾薬等の軍事面で支援を受けてきました。その結果、軍内では親中派が強くなっていました。他方、ロシアは共産党政権下のソ連時代に北東アジアでの影響力を拡大するため、国境を接する北朝鮮での共産主義政権の樹立を支援しました。米ソ冷戦終結でロシアに変わってからも、この方針は変わらない。プーチン現大統領は閣内で密かに「北朝鮮を制するものが極東を制す」と言っているほどです。同大統領就任直後の訪問国の一つは北朝鮮でした。

 北朝鮮の核開発疑惑を巡って始まった六カ国協議の場でロシアの影が薄いのは、プーチン外交の失敗として理解できます。いずれにせよ、ロシア側からの工作もあり、北朝鮮には一定の親ロ派勢力が存在してきました。

 しかし、小国たる北朝鮮としてはどの国も信用できない。ロシアと中国に国境を接し、南部の北緯38度線では米韓合同軍と接している。つまり、国防を担う朝鮮人民軍は、米ロ中という三大軍事大国の軍隊と直に対峙しており、日本人が想像もできないような緊張状態に置かれているわけです。

中朝関係の実態が見えていない日米

── 北朝鮮が核兵器開発を推進する背景には、こうした緊張状態があるということですね。

小松 2001年には米国で「9・11」同時多発テロ事件が発生し、翌年にはブッシュ・ジュニア大統領がイラン、イラクと共に北朝鮮を「悪の枢軸」と呼ぶに至りました。北朝鮮への「核攻撃も当然あり得る」として、陰に陽に圧力をかけたのです。

 米国の強硬姿勢は北朝鮮ばかりか、韓国でも強い反発を引き起こしました。米国には在韓米軍の撤退論もあったのですが、仮に南北朝鮮間で戦争が再発すれば、ソウルの中央政府はともかく、韓国の国民の多くが北朝鮮側につく可能性まで疑うようになりました。そこで、韓国を守ると言うよりも監視する必要性から、在韓米軍を維持すべきだという考え方が強まったのです。

── 「ビンのフタ」論ですね。米国には、韓国の核武装に対する警戒感も高まっています。

小松 実際、韓国は朴正煕政権時代の1970年代に核兵器製造を試みましたが、事前に発覚して挫折しています。米国では、南北朝鮮が統一した場合、北朝鮮保有の核兵器が韓国と共有されてしまうという危機感があるだけでなく、北朝鮮にシンパシーを寄せる韓国の国民に対する不信感もあるのです。

 南北朝鮮は双方とも1991年に国連に加盟しています。その後、北朝鮮側は朝鮮戦争当時の休戦協定を平和条約に変えるべきだとし、「休戦ライン」である北緯38度線も「国境」にすべきだと繰り返し提案してきたのですが、米国側が受け入れていません。休戦ラインであれば、米軍が北朝鮮領内に侵攻しても法的に「侵略」になりませんが、国境となっていれば「侵略」になります。そこで、北朝鮮の軍部は「米国側が侵略する選択肢を捨てていない」と判断しているのです。これが北朝鮮の置かれている厳しい軍事情勢なのです。……

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