今回は連載の趣旨とは離れるのだが、現在の日韓関係が余りにも悲惨な状態を呈していることを危惧し、かつて雑誌『正論』に発表した、日本軍として戦った韓国兵へのインタビューを一部再録しつつ、日韓連帯の原点がどこにあるべきかを考察してみたい。
あえて結論から述べる。日韓連携の原点があるとすれば、それは江戸時代や古代における交流でもなく、また1965年の日韓条約でもない。現在の余りにもゆがめられた歴史論争の中にも存在しない。それは大東亜戦争とそれに参加した「韓国人」兵士の中にある。
ここでまず一言述べておきたいが、私は「従軍」慰安婦問題などにおける韓国側の主張にくみしないのと同様、日韓併合時に、日本がどれだけ韓国に経済的な発展と近代化をもたらしたかという保守派の論考にも抵抗感を持つ。確かに近代化に結果として日本統治が寄与したことは確実な事実だが、本稿の一つのテーマであるように、近代化=欧米化というものは、必ずや前近代の美徳や伝統を破壊する宿命を持つのだ。
近代は近代的価値観に合わない民衆の信仰や文化にはきわめて暴力的に振る舞い、そのかわりに「近代化」を受け入れた個人や企業には資本主義の結果である豊かさをもたらすのである。その意味で、この近代の生みの苦しみを、他民族によって与えられたことへの苦悩については日本人も一片の理解を持つべきだろう。
そして、仮に日本統治が経済復興や豊かさをもたらしたことをもってすべてを肯定するならば、戦後日本がアメリカによって事実上「統治」されたことによって、少なくとも戦前よりは近代化され経済的に豊かになったことをも肯定すべきこととなる。そのような一面的歴史観を受け入れるならば、それは保守派とは言えまい。
ただ、これだけは確実に言える。日本統治下、朝鮮半島では民衆も知識人も、多くは他民族に支配される悔しさはあれども、自ら率先して、身分制度から解放された朝鮮民族としてのナショナル・アイデンティティを持ちはじめていった。そして朝鮮総督の側も、問題点はありつつも、3・1運動後には武断政治を改めるなどの柔軟性があり、日本人と朝鮮人の間にもそれなりの交流が生まれ、連帯意識も存在した。
そして、決定的な契機となったのが大東亜戦争である。その中で韓国人が日本兵としてどのような戦いに参加していったか、以下の二つの証言をお読みいただきたい。
日本軍に参加した韓国人たちの戦い
(1)ラバウルは降伏せず
周知のように、朝鮮半島では徴兵制度は敷かれなかった。1919年に生まれた金鐘萬さんは志願兵として1937年、陸軍特別士官訓練所入所した。実は当時朝鮮半島では事実上、各地ごとに何人かの「割り当て」があったという。地方行政から指名された金さんは、家族とよく相談し、軍人となることを決意する。金さんの家は貧しかったこともあり、残った一家の面倒を良く見てもらう事が当然の約束だった。
金さんは軍人になった以上、誰よりも立派な軍人になろうと、軍人勅諭は勿論暗誦し、訓練にも励んだ。「12月8日には、私もこれで戦場に行くのだという決心を固めました。国のためならば自分の命を捨てるという教育を受けていましたから。」こう語る金さんは、ラバウル第8方面軍に派遣される。
ラバウルはしばしば空襲に見舞われたが、金さんによれば日本のパイロットは大変優秀だったという。敵編隊が来る前にはるか高度高く旋回し、次々と敵機を墜落させた。一気に何台もの敵機を撃墜すると、煙が何本も連なって白い線を空中で描き、それを兵士達は「タコの足」と呼んだ。……
以下全文は本誌8月号をご覧ください。