佐藤優×山崎行太郎 「保育園落ちた日本死ね」の衝撃

周縁に身を置くことの重要性

山崎 これまでの佐藤さんとの対談では、なぜ思想が力を失ってしまったかという問題を中心に議論してきました。その原因は一つには、哲学者や文学者などの思想家たちが、大学に就職して安定的な収入を得るようになったことにあります。

 かつては「文学者になりたい」などと言えば、家族から猛反対されたものです。文学では飯を食えないですからね。飯を食えないとなると、社会からも疎外されてしまいます。それでもどうしても書きたいものがある人たちが文学者になりました。彼らにとって文学は飯の種ではなく、自分の人生の問題、生き死にの問題だったんです。だからこそ彼らの書くものには大変な魅力があったわけです。

 ところが、最近では文学者や小説家たちがどんどん大学に就職していますよね。彼らは一般企業に就職する感覚で文学者になっているんですよ。大江健三郎や古井由吉、あるいは三島由紀夫や吉本隆明とは根本的に違います。文学は世俗的価値観を放棄していたからこそ力を持っていたはずなのに、これでは文学が力を失うのも無理はありません。

 その点、僕が佐藤さんに魅力を感じるのは、最近の思想家たちとは違って世俗的価値観から距離があるからです。佐藤さんの原点にはキリスト教神学がありますよね。キリスト教神学を専門的に勉強するというのは、日本の一般的な価値観とは異なります。もちろん日本にもキリスト教徒はいますけど、神学部にまで進む人はほとんどいないんじゃないですか。

佐藤 当時神学部に進学するのはハードルが高かったですね。山崎さんは覚えておられると思いますが、当時は就職活動の条件に指定校制度というのがありましたよね。要するに、特定の大学の特定の学部の学生以外は企業回りを受け付けない。

山崎 就職試験そのものを受けられませんでしたね。

佐藤 私立大学で全ての企業を受けることができたのは早稲田と慶應だけでしたよね。同志社は関西では知名度があったので指定校制度はありましたが、ほとんどの場合「神学部を除く」となっていました。だから神学部に入るとまず一般就職ができなかったんです。

 そういう意味では、私は周縁に身を置いているのが好きなんですよ。柄谷行人さんが『マルクスその可能性の中心』(講談社)という本を書いていますが、「可能性の中心」について思考することは「周縁」について思考することと一緒です。私は「可能性の中心」に面白さを感じるんです。ただ、そこで重要なのは、世俗的価値観から完全に外れないことです。完全に外に出てしまうと、社会に影響を与えることもできなくなるし、社会から影響を受けることもできなくなってしまいます。

山崎 僕の時代は文学部も指定校制度から外れていました。でも、文学部だからといって「周縁」にいるかと言うと、そうとも限らないんですよ。僕の文学部の同級生たちの中には、巧妙に立ち回って電通や新聞社に入った人が結構いました。

佐藤 それは神学部も同じです。神学部は一般企業への就職は難しいけど、抜け道があった。キリスト教系の病院の事務があるし、キリスト教系の社会福祉団体もある。キリスト教系の学校の聖書科の教師もある。また、日本基督教団の牧師になれば、これはキリスト教の世界ではメインストリームです。三井物産や埼玉県庁に就職するのと変わりません。その意味で、「可能性の中心」としてキリスト教を受け止める人は非常に少なかったですね。

フロマートカの命懸けの神学

山崎 生き死にの問題について言うと、僕は佐藤さんの専門であるチェコのフロマートカという神学者に関心があります。彼は第二次世界大戦中にアメリカに亡命し、戦争終結後、あえて共産主義体制下のチェコスロバキアに帰国したわけですよね。

 僕は神学のことはよくわかりませんが、佐藤さんの『神学の思考』(平凡社)などを読む限り、フロマートカは命懸けで神学に取り組んでいたと思います。つまり、飯を食うために牧師をしているとか、学者として神学に取り組んでいたのではなく、生きるか死ぬかの問題として神学に打ち込んでいた。

佐藤 その通りです。もしフロマートカが神学を単なる学問と捉えていたなら、アメリカのプリンストン大学神学部に留まってフットノート(脚注)つきの学術書を作っていたと思います。しかし、彼の戦後の神学論文はチェコで書かれているので、ほとんどフットノートがついていないんです。

 どういうことかと言うと、共産主義体制下のチェコでは紙や印刷機は人民のもので、キリスト教は迷信とされていました。迷信とはいえそれを信じている人たちがいたから、国家が妥協して神学書を出すことを許したんです。ただし、フットノートがついた研究書が必要なのは神学生だけなので、刷り部数は100部とか150部しか認められませんでした。それに対して、一般書というスタイルであれば、フットノートをつけることはできませんが、3000部なり5000部なり刷ることができました。フットノートがついていない著作はアカデミズムでは流通しにくいのですが、フロマートカはこちらを選択したわけです。……

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以下全文は本誌5月号をご覧ください。

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