中谷巌 日本の価値観が滅びる!

「改革」が日本を弱体化させた

―― TPPという名のグローバリズム、新自由主義に日本は飲み込まれようとしている。

中谷 グローバリズム、新自由主義というものは、大航海時代以来続いてきた「西洋による非西洋世界の征服」という大きな歴史の流れの中で理解する必要がある。TPPもその一環であり、西洋的価値観が非西洋諸国に浸透するプロセスと理解すべきだろう。かつてスペインは軍隊を用いて中南米を征服した。現代は軍隊ではなく、TPPや国際会計基準など、「経済ルール」で西洋化を行っているのだ。

 日本が戦後しばらくの間、グローバリズムの荒波に飲み込まれずに済んだのは、東西冷戦という歴史的環境のおかげだった。終戦直後、アメリカは日本の弱体化を目論んでいたが、東西冷戦が始まったことで対日本政策を転換した。日本を経済的に強くして、冷戦構造下で西側陣営の強力な一員に育てる必要があったためだ。

 そのためであろう、アメリカは戦後日本が築き上げた「日本型経済システム」に対してあまり強い注文をつけなかった。「日本型経済システム」のエッセンスは、経済主体間の信頼関係に基づく「長期継続的取引」にあった。系列取引、メインバンク制度、終身雇用制度など、長期の共存共栄型取引システムを充実させることで、いわゆる「取引コスト」を低下させ、効率的な経済を創り上げることに成功した。日本は奇跡的と呼ばれる経済復興を果たした。

 やがて、アメリカは日本に脅威を抱くようになったが、東西冷戦下では日本を弱体化させる「日本たたき」は慎まなければならない。しかし冷戦が終結し、ソ連の脅威が消滅すると、アメリカはいよいよ日本の経済構造の「改革」に乗り出した。日米構造協議で日本に構造改革を迫り、日本社会を変革させにかかった。これは「日本型経済システム」を解体させ、短期の市場取引中心の体制に転換させようという強力な圧力となった。日本の経済システムを守ろうとしてきた官僚組織は、さまざまなスキャンダルの意識的とも取れる漏洩をきっかけにして激しくバッシングされ、かつての強力なパワーを喪失した。いまや、「政治家はだめでも官僚がしっかりしているからこの国は大丈夫だ」といった声はすっかり影を潜めた。官僚たち自身もかつての「気概」がなくなった。それは日本にとって極めて大きな損失となったのではないか。

 ソ連崩壊以降今日まで、日本は「改革」の嵐にもみくちゃにされた。「小さな政府」「民営化」「規制撤廃」のいわゆるワシントン・コンセンサスが金科玉条のごとく、日本中を吹き荒れ、それは小泉内閣の「改革なくして成長なし」というスローガンでピークを迎えた。

 アメリカが日本に要求した「改革」は極めて多方面に亘る。系列取引は閉鎖的だと糾弾され、それまでの共存共栄を目指した信頼関係に基づく取引関係は大きく毀損した。銀行と事業会社の長期的関係(メインバンク・システム)も崩れた。労働市場の自由化によって、日本企業の「完全雇用文化」は消滅し、非正規社員が急増したが、それが貧困層を増加させ、日本社会を階層化させた。アメリカのSOX法(不正会計防止のための企業改革法)を下敷きにしたJ─SOX法は、企業組織の中に「監視する部隊」と「監視される部隊」を作る結果となり、「組織の一体感」「求心力」を売り物にしていた日本企業の組織は分断された。性悪説を基本とするアメリカ型の仕組みを、相互信頼に基づく組織作りを進めてきた日本企業に当てはめれば、それは日本企業の弱体化に繋がってしまう。

すべてをカネに換算する金融資本主義

―― 現在、世界を覆い尽くそうとしているグローバリズム、あるいは新自由主義の本質は何か。

中谷 端的に言えば、「グローバル資本が自由に国境を超えて移動できる、金融資本主義を一刻も早く完成させようという思想」だ。この「自由に国境を超えて」というところがポイントだ。

 資本主義は、その成立、発展の歴史から、各国それぞれ独特の商慣習など、独自性があるものだ。しかしその独自性こそ、資本が「自由に国境を超える」障害となる。その障害を撤廃させるのが90年代以来世界に吹き荒れた構造改革の背景であり、それは、アメリカが30年くらい前から思考してきた「金融立国」という国家戦略の一環だった。

―― 中谷氏はかつて新自由主義の旗手であったが、今は新自由主義に警鐘を鳴らす立場だ。

中谷 経済学という学問は、あくまで「個人」が主人公になっている。そこでは、それぞれの社会が持つ結束力やエートス、あるいは、独自の文化といった価値観の要素は一切無視されている。遅まきながら、そのことに気づいたということだ。

 自由主義経済においては、マーケットで値段がつき、取引できるものしか扱わない。言い方を変えると、社会や家族の人間関係や文化といった「値段がつかないもの」は、価値がゼロとみなされる。TPPにおいては、すべての分野で関税ゼロを目指しているが、例えば、「稲作」が持つ日本文化の価値、水田風景、水田が持つ環境への影響など、値段がつかない価値は無視される。労働市場では、ひとりひとりの人間の価値、人生の意義などは無視されて、ヒューマン・リソース、「人材」、「人財」、何と言っても良いが結局、値札のついた商品として扱われる。だが、人間が生きるということを考えた時、「値段のつかないもの」を無視することはできない。

 新自由主義の理論は市場経済を綺麗に説明することはできるが、それが社会・伝統・文化に与える影響については、まだ誰も理論化できていない。しかし、新自由主義が、市場で「値段のつかないもの」の価値をゼロと見なすこと、これこそ、21世紀における人類社会に最大の困難をもたらす張本人なのである。……

以下全文は本誌8月号をご覧ください。