國場幸之助 5・15こそ真の主権回復記念日だ!

希薄になる「沖縄の苦しみへの想像力」

―― 4月28日、サンフランシスコ平和条約発効を記念して政府主催の記念式典が開催される予定だ。しかし、県民感情に配慮して、仲井真弘多沖縄県知事は自らの出席は見送り、代わりに高良倉吉副知事を出席させることにした。

國場 サンフランシスコ平和条約発効記念日という、歴史の節目に式典を行うこと自体は大事なことです。しかし、それが「主権の完全回復」と呼ばれていたり、あまつさえ、祝典行事として行われることに、沖縄県民は違和感を覚えているのです。

 『蛍の光』、第四番の歌詞は御存知ですか?「千島の奥も、沖繩も、八洲の内の、護りなり……」ここで歌われている通り、沖縄は日本です。ところがサンフランシスコ平和条約では沖縄、小笠原、奄美だけが本土から切り離され、アメリカの施政権下に置かれた。「主権の完全回復」とはとても言えません。まして、4・28は沖縄県民にとっては日本から沖縄が切り離された、あるいは見捨てられた屈辱の記念日でもあるのです。とても祝う気持ちにはなれません。本当に「主権の完全回復」の記念日として祝典を行うのならば、沖縄が本土に復帰した日、すなわち5月15日こそがその記念日であるべきです。

 私も当初から祝典ではないと政府サイドには働きかけを行い、案内状の式次第に盛り込まれた「祝辞」という言葉には、強く抗議しました。

 仲井真県知事も苦渋の決断をされたのでしょう。県民感情からすれば4・28祝典行事には参加できない。とはいえ、他の都道府県知事が勢揃いしている中、沖縄県の席だけ空席という状況は、式典の失敗を意味し、日本国家の一員としてはそれも避けたい。そういう中で、今回の決断になったのだと思います。

―― 本土の政治家が、あまりにも沖縄に対して配慮がなくなってしまった。

國場 沖縄は先の大戦で、唯一、地上戦が行われたところです。東京も空襲を受けましたが、空襲と地上戦ではその重みが遥かに異なります。日常生活空間が戦場となり、鉄血勤皇隊という少年兵が爆弾を背負って戦車の下へ潜り込み、特攻をして死んでゆく。大田実中将が「沖縄県民斯く戦えり、後世格別のご配慮を」と最後に打電したのは有名ですが、戦後のある時期までは、まさに沖縄の痛み苦しみを理解して、沖縄問題の解決に奔走した政治家もいました。故・梶山静六氏は夜も眠れぬほど沖縄に心を砕いたといいますし、故・小渕恵三氏は、学生時代に沖縄の遺骨収集に参加しており、もともと沖縄に強い関心をお持ちだった。それが小渕政権時代の沖縄サミット、二千円札の守礼門へとつながっていったのでしょう。

 しかし時代が経て、沖縄が地上戦で味わった苦しみへの想像力は薄れてしまったのではないでしょうか。基地問題にしても、他人事のような発言がほとんどです。

―― 沖縄本島の面積は日本全体の0.6%、しかしそこに駐日米軍の74%が集まっている。

國場 いびつな構造ですね。それに、沖縄というよりも日本全体の安全保障を考えた時、こんなに米軍が一箇所に密集しているのは高リスクとさえ言えます。実際、アメリカ側はかつて基地の日本本土への分散移転を打診した経緯もありますが、日本政府は検討さえしていません。全国どこの地域も、米軍基地の受け入れを嫌がるからです。新たに受け入れ先を探し、知事や住民の説得をするよりも、なし崩し的に沖縄に基地を存続させたほうがコストは低いのです。……

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