トランプ旋風を予言した書

トランプ以後の世界

 トランプ旋風がアメリカで吹き荒れています。今やトランプを無視して国際政治を語ることは不可能になっており、そのため、これまで論じられてきた安全保障論やTPP論はほとんど意味がなくなってきています。

 アメリカ大統領選の行方を予想することは困難ですが、たとえトランプが大統領にならなくとも、これだけのアメリカ国民がトランプを支持した以上、次の大統領は「トランプ的な政策」をとらざるを得ません。日本も腰を据えて「トランプ以後の世界」に備える必要があります。

 このトランプ旋風について、国際関係論などの専門家たちは「アメリカは孤立主義に舵を切った」などと論じています。しかし、それは誰が見ても明らかなことであり、専門家でなければ指摘できないことではありません。

 トランプ旋風がアメリカの孤立主義的傾向の表れであることは間違いありませんが、アメリカで孤立主義が強くなったのは最近になってからではありません。その兆候は以前からありました。

 それはオバマ大統領が2013年に「アメリカは世界の警察官ではない」と述べたことでもなければ、アメリカがシェールガスを増産し始めたことでもありません。2009年にマイケル・サンデルの『これからの「正義」の話をしよう』がアメリカでベストセラーになったことです。この本が広く受け入れられたという事実こそ、アメリカの孤立主義を最も顕著に表しています。

 ここでは、弊誌2011年4月号に掲載した、『これからの「正義」の話をしよう』の書評を紹介したいと思います。5年前の記事ではありますが、今日の状況を先取りする内容になっていると思います。読みやすいように一部書き換えています。

 なお、弊誌5月号では津田塾大学教授の萱野稔人氏をはじめ、3人の識者にトランプ旋風についてお話を伺いました。併せてご一読いただければと思います。(YN)


これからの「正義」の話をしよう

 本書はハーバード大学で最も人気のある講義、〝Justice:What’s the Right Thing to Do?〟を下敷きにして書き下ろされたものである。著者であるマイケル・サンデルの講義は人気が高かったため、ボストンの公共放送局WGBHで放映された。日本でも、NHKがこの講義の模様を「ハーバード白熱教室」と題して連続放送したため、一大ブームが巻き起こっている。

 サンデルの語り口は平易で明快である。檀上での劇的な振舞いには、人々を惹きつける力がある。しかし、それだけの理由で本書が60万部ものベストセラーになったとは考えられない。かつて浅田彰の書いた『構造と力』(勁草書房)は、極めて難解な内容にもかかわらずベストセラーになり、そのキーワードである「スキゾ・パラノ」は流行語大賞を受賞する程だった。難解だから忌避されるわけではなく、平易だから広く読まれるわけでもない。人々に広く受容されるのは、その本に人の心を強く揺さぶるものがあるからであろう。

 それでは、人々はサンデル哲学のどこに惹かれるのだろうか。サンデルの立場は共同体主義と呼ばれるものであり、自らの属する共同体を重視する。サンデルによれば、人間はある家族の一員、ある国民の一員というように、様々な共同体に属しており、その共同体に対して道徳的、政治的な責任を負う「位置づけられた自己」であるという。

 こうした視点から、サンデルはリベラリズムを批判する。リベラリズムは個人の自由や独立を重視しており、彼らの掲げる自己とは、自らの属する共同体への責任から遊離した「負荷なき自己」である。この傾向が進めば、新自由主義やエゴイズムが生じることは避けられない。

 現在、アメリカでは新自由主義が猛威を振るっており、貧富の差は拡大し、国民の間の連帯が損なわれている。サンデルの本がベストセラーになったのはそのためだ。人々は彼の哲学から、新自由主義に対する批判や、失われた共同体を再生しようとする意志を感じ取っているのである。

 もっとも、サンデルは共同体の価値を絶対視することへの警戒も忘れていない。共同体の歴史や価値を重視しつつも、絶えず疑い続けることを提唱している。しかし、サンデルがいかなる意図を持っていようとも、彼の哲学の行き着く先はアメリカの鎖国化であろう。

 共同体主義に惹きつけられているのはアメリカだけではない。例えば、ドイツの哲学者、ユルゲン・ハーバーマスは、ヨーロッパが団結して一つになることを提唱している。サンデルと同様、ハーバーマスが意図しているかどうかは別にして、その行き着く先はヨーロッパの鎖国化である。

 こうした動きを見ればわかるように、世界は急速に収縮し始めている。世界各国が国を閉ざし、鎖国化に向かいつつあるのだ。

 そうした中、日本だけが「平成の開国」を声高に主張している。その姿は、世界各国が金本位制から離脱しているにもかかわらず、金本位制を維持し続けて壊滅的打撃を受けた戦前の日本を彷彿とさせる。TPPの推進は、さらなる不況を招くだけだ。

 世界の鎖国化の先に待ち受けているもの、それは戦争である。それは歴史を振り返れば明らかである。この流れを止めることはできない。これに対して、日本はいかなる行動をとるべきか。戦前と同じ結果を繰り返さないためにも、我々は少なくとも危機の時代が目前に迫っているということを認識する必要があるのではないか。