原則禁煙法案を退けた自民党の底力

安倍政権に対する歯止め

 受動喫煙対策強化を目的とするいわゆる「原則禁煙法案」の提出が、今国会では見送られることが確実となったと報じられています。安倍首相は5月に法案提出を指示したものの、厚生労働省と自民党の方針に隔たりがあり、会期が延長されたとしても法案提出すら極めて厳しい状況だといいます(6月3日毎日新聞)。

 このように、自民党にはまだ政権の方針を押し戻す底力が残っています。なぜその力をTPPや農協改革のときに使わなかったのか、強く疑問に感じます。自民党には安倍政権に対する歯止めとして、しっかりと役割を果たしてもらいたいと思います。

 ここでは、弊誌4月号に掲載した、評論家の西部邁氏のインタビューを紹介したいと思います。ぜひ、喫煙者の言い分にも耳を傾けてみてください。全文は4月号をご覧ください。

死ぬまで煙草を吸い続ける

── 政府は受動喫煙対策として、一部の例外を除き公共施設の全面禁煙を盛り込んだ健康促進法改正案を提出する方針です。愛煙家の西部さんにお話を伺いたい。

西部 まず言っておきたいのはだな、杉原くん、この俺様に禁煙なんて詰まらない問題でインタビューするとは何事か(笑)世界が文明の危機に直面している今、そんな問題を議論している暇があるのか(笑)まあ禁煙問題もその一端ではあるから、煙草から話し始めて文明を論じましょうか。

 僕が煙草に手を染めた、というか口を染めたのは高校時代のことですね。正直に言いますが、なぜ煙草を吸い始めたかといえば、不良っぽく生きたかったからです。エスケーピストというか、昔から親父の命令、先生の指図から逃れたい、エスケープしたいという気持ちが強かったんです。だから煙草を愛したが故に吸い始めたわけではない。吸う前に愛せませんからね。

 それ以来、眠っている時と拘置所の厄介になっている時以外は、片時も休まず煙草を手にしてきたと。その意味じゃニコチン中毒者に分類されるんでしょうね。

 一度、ある禁煙反対集会で漫画家の親友と同席したことがあった。最初の登壇者が彼だったんだけど、漫画家だからセリフが短くて、「煙草を吸わない奴はバカでしょ」と一言だけ言って終わった。その次が僕の番だったから、彼の言葉を説明しました。

 人間関係は常にある種の緊張や危機を孕み、絶えず不安定に揺れ動くものである。近づいたり振り放したり、仲良くなったり喧嘩したり、理解したり誤解したりね。こういう人間関係の本質を見るに敏なる者は、間合いの取り方というものを尊重する。ある時は打ち解けた態度で冗談を飛ばし、ある時は神妙な顔付で議論に臨む。しかしながら、どれだけその技法に熟練しようとも、人間には神様よろしく思い通りに他者との関係を操作することはできない。

 そうすると、どうしても補助剤が必要になる。僕の経験上ではアルコールも結構ですが、スモーキングはそれ以上に有効な代物です。したがって煙草に反対する者は、かかる人間関係の本質に鈍感であり、その複雑さや奥行きを把握する感性のない人種で、利口馬鹿が多いと言わざるをえぬ。

 ところが、どうも中学高校の罰則は生徒がアルコールを飲むよりニコチンを呑む方が厳しいらしい。喫煙は社会常識から逸脱したいという反社会的傾向があるなんて考えているんでしょうね。

 だから僕は人間関係の妙を弁えず、煙草の功利も知らないで喫煙に反対する連中のことを「鬱病型ヒステリー性パラノイア」と診断しています。パラノイアは偏執狂という意味です。ご承知のように、世界で最も著名な禁煙運動家はアドルフ・ヒトラー君だったんですね。まさにヒステリックな偏執狂です。

 まあこの病は全世界的な現象だから、僕如きが「禁煙ファシズム」だと批判しようが、「愛煙家レジスタンス」を結成しようが、どうしようもない。だから運動会の東京招致に熱狂し、それに合わせて禁煙全面化だと騒いでいようが、僕の知ったことではない、どうぞご自由にと言うしかないね。

 僕は受動喫煙の害なんてほとんど嘘だと思っているけど、ちょっと道路を見てごらん。現代は猫も杓子も自動車に乗る時代で、車が昼夜休まず走り続けているでしょう。で、煙草一本吸うのに大体2~3分ですが、車は2~3分走ると煙草1000本分に相当する環境汚染を生み出しているんですよ。

 世界中で片時も休まず排気ガスを排出している車を非難せず、一本の煙草を吸っている我々に目くじらを立て、受動喫煙の害を喚く。そういう木を見て森を見ない連中には付き合っていられるかと。

 ニコチンはアルツハイマー病とパーキンソン病に効き目があると言われているけど、僕の経験上もそう感じるね。アルツハイマー病は頭の麻痺、パーキンソン病は身体の麻痺です。これらは僕のような後期高齢者が家族や社会にかける迷惑の中でも大きいものだし、自分自身も「哀れな往生際だな」と思う。だから今後世の中がどうなろうとも、僕はいかなる手段を使おうとも喫煙できる場所を探し出し、必ずや死ぬまで煙草を吸い続ける。その固い覚悟は何十年も前から出来ているんでね。

 今はタクシーも禁煙だけど、僕はウェルカムです。大体一時間から二時間の禁煙を強いられた後の一服は物凄く旨いからね。よくタクシーの運転手さんに「ありがとう。俺のために禁煙にしてくれているんだろ」と礼を言っているんだよ(笑)まあ、それくらいでやり過ごすしかない。

禁煙運動の本質は生命第一主義・人間中心主義だ

── 禁煙運動の背景には、現代人の死生観が関わっていると思います。

西部 だから僕は禁煙運動よりも、その根底にあるものに対してけったくそ悪く思っている。何か。生命第一主義と人間中心主義ですよ。

 禁煙の背景には健康長寿、もっと言えば不老不死を善とする価値観がある。やっぱり秦の始皇帝が悪かったな、不老不死を追い求めたから。でも想像して見給え、500年経とうが1000年経とうが死ねない人生をさ。無限地獄でしょう。

 そりゃ人間の行動は現象的には変わるが、いくつかのパターンがあるだけで、本質的には何も変わりませんよ。何千年何万年と手を変え品を変え、しかし、とどの詰まりは同じことの繰り返しに過ぎない人間の悲喜劇を見続けなければならない退屈。人生に疲れ果てた徒労感。そして死にたくても死ねない苦痛。死ねない、これが考え得る限り最も強烈な不幸でしょう。

 確かに死にたくないという気持ちは分かりますけどね。人間は生命体だから死に対する恐怖が本能に刷り込まれている。しかしどういうわけか人間には前頭葉というものがあるから、死よりも怖いのは不老不死だと判断せざるべからずなんです。……