日本で韓国批判が吹き荒れる背景

国力弱体化のあらわれ

 韓国情勢が大きく揺れています。韓国の朴槿恵大統領は任期満了を待たずに来年4月に退陣し、6月に大統領選挙が行われる見通しとなっています(12月6日付産経新聞)。

 これに対して、日本国内ではここぞとばかりに韓国批判が行われるようになっています。確かに朴大統領には批判されるべき点があるでしょう。しかし、日本で行われている批判の中には、韓国に対して心理的に優位に立ちたいから批判しているにすぎないようなものもあります。逆に言えば、このような時でなければ韓国に対して心理的に優位に立てないということです。

 これは要するに、日本に余裕をもって韓国と接する力がなくなっているということであり、日本の国力が弱体化していることのあらわれです。ここでは、弊誌2014年4月号に掲載した、哲学者の山崎行太郎氏のインタビューを紹介したいと思います。(YN) 

王者の風格を取り戻せ

―― 反韓感情を政治に持ち込んだ事例を教えてください。

山崎 それは昨今の河野談話や村山談話をめぐる議論について考えればよいと思います。これは、これらの談話を肯定する側、否定する側の両方に言えることです。左翼も保守派もこれらの談話に個人的感情を持ち込もうとしています。

 もちろん学者たちが慰安婦問題を研究することは大いに結構なことです。しかし、いくら研究を重ねたところで、唯一絶対の歴史認識に到達することはありません。アインシュタインが相対性理論を生み出したように、物理学の世界ですら相対的なのだから、いわんや歴史認識をや、です。

 ところがこれらの談話を論じている人たちは、肯定派も否定派もそうですが、誰もが納得する「真の歴史認識」があると信じ込んでしまっています。これは「真理は我にあり」と妄想する思考形態です。これこそ私が『保守論壇亡国論』の中で批判した「イデオロギー的思考」です。

 村山談話や河野談話については、歴史ではなく政治という視点から考えるべきです。もし仮にこれらの談話を破棄するなんてことになると、アメリカやヨーロッパも日本を離れていき、日本は国際的に孤立してしまいます。また、強制連行の有無は別にして、慰安婦、さらには朝鮮人慰安婦がいたことは事実なのですから、この問題をほじくり返せば日本は今よりもさらに不利な状況に置かれることになるでしょう。

 それ故、日本としては、少なくとも政治的レベルでは適当なところで妥協し、謝罪・補償すべきです。誤解を怖れずに言えば、河野談話や村山談話は国際社会を納得させるための「政治的方便」に過ぎず、それ以上の意味はないということです。

―― 事実でないことまで謝罪しなければならないことに不満を感じている人が多いのではないでしょうか。

山崎 それが「帝国の政治」というものです。多少事実と食い違うところがあったとしても、余裕を持ってかつての過失や犯罪を認め、謝罪・補償する。それが侵略や略奪、占領、支配、併合を繰り返してきた「帝国の作法」です。かつての植民地支配を認めて謝罪したところで、国が亡びるわけではありません。まして日本は敗戦国です。敗戦国の生き延びる作法を学ぶべきです。
 
 1970年代頃までの保守派の言論人たちは、必ずしも韓国に対して良い感情を持っていたわけではないでしょうが、現在の保守論壇のように韓国に罵声を浴びせることはありませんでした。たとえ韓国から罵られても、それと同じレベルで反論することはなかったように思います。
 
 それは、彼らが旧宗主国として、いわば王者のプライドを持って旧植民地に接していたからでしょう。帝国の誇りが低次元の罵り合いを許さなかったのです。

 逆に言えば、現在の日本は経済的にも韓国に対して恐怖を感じるようになっており、そのため帝国としての余裕が持てなくなっているということです。

 日本はかつて「大日本帝国」を名乗った国です。我々は王者の風格を持って韓国に接していくべきです。