ウリュカエフ逮捕は「ロシア版国策捜査」か

ウリュカエフ逮捕の衝撃

 11月15日、ロシアの捜査当局がウリュカエフ経済発展相を巨額の賄賂を受け取った疑いで拘束したと発表しました。ウリュカエフは世耕ロシア経済分野協力担当大臣の交渉窓口として、安倍首相がプーチン大統領に提案した「8項目の経済協力プラン」を担当していた人物です。

 日本では、これが北方領土交渉にどのような影響を与えるかに注目が集まっています。ウリュカエフが世耕大臣のカウンターパートだったということは、日本で言えば世耕大臣が突然逮捕されたようなものです。何の影響もないということはあり得ません。もし何の影響もないとすれば、逮捕されても何の影響もない人間がロシア側の窓口だったということになりますから、もう既に交渉は頓挫してしまっていたでしょう。

 かつて森首相がプーチン大統領との交渉により、あと一歩で北方領土を取り返すというところまで行った時に、鈴木宗男議員や佐藤優氏が国策捜査で捕まり、領土交渉が暗礁に乗り上げてしまうということがありました。ウリュカエフ逮捕も「ロシア版国策捜査」の可能性があります。もしそうであれば、今後の成り行き次第では、領土交渉が停滞してしまう恐れもあります。

クレムリンの権力構造とは

 もっとも、日本政府とロシア政府が共に適切に対応すれば、この危機は乗り越えられると思います。領土をめぐる事務方の交渉自体はほとんど終わっているので、残されているのは安倍首相とプーチン大統領の政治的決断だけです。とすれば、ウリュカエフ逮捕がプーチン政権の権力基盤に影響を与えないかぎり、領土交渉は進展するはずです。

 この点については、『フィナンシャル・タイムズ』の前モスクワ支局長であるチャールズ・クローヴァーの著書『ユーラシアニズム』(NHK出版)が参考になります。彼はそこで次のように述べています。

 プーチンがロシアで最高権力者であることは疑問の余地がないが、支持者たちがイメージする絶対主義的皇帝とか、彼の誹謗者たちが口にする独裁的専制君主といった意味での権力者でないことは明らかだ。オリンポス山の王座に座っているのではなく、現代版大貴族の集合体の上に座しているようなもので、彼らは資産、政策、甘い汁をめぐって絶え間ない争いを繰り広げている。かつてのソ連共産党政治局の現代版のようなもので、決定は各メンバーの合意か、有力利益団体の力のバランスによってなされている。(中略)

 プーチンがほとんどの上級幹部たちに対して直接的な権威を及ぼしているという点については、何人かの分析者は疑問視している。彼らの主張によれば、大統領はむしろ、みずからの中立的立場を維持するために、競合する利害の間を政治的に調整し、それによって生じる厳密なバランスに従って行動せざるをえないというのだ。エリート高官たちの論争では、大統領はもっぱら問題解決者や調停者の機能に徹して自身の政治的権威を保持し、その場合、イデオロギーは二の次で、エリートたちのパワー・ダイナミクスが最優先となる。(中略)

 クレムリンは、厳格なトップダウンの命令系統を持つ軍隊的機構と見るよりも、ネットワーク組織として見るほうがたとえとしては優れていると思われる。ネットワークは水平にゆるく連結された組織で、古典的な指揮系統ではなく、キューサインや合図に応じて作動する。

 クレムリンがネットワーク組織であれば、ウリュカエフの抜けた穴はすぐに別の人物によって補われ、再び連結が回復されることになるでしょう。また、プーチンが利害調整者だとすれば、プーチンはウリュカエフ逮捕を何らかの利害調整のために黙認した、あるいは指示したということになります。

 とはいえ、何事にも限度というものがあります。その限度を超えれば、ネットワークは分断され、プーチン自身の立場も危うくなるでしょう。もっとも、これはロシア国内の権力闘争ですから、日本政府が首を突っ込むわけにはいきません。日本政府としてはこれまでの方針を維持し、粛々と交渉を続けることが重要になると思います。(YN)