漢字の読み間違いは安倍政権の支持率を下げるか

読み間違いを批判するだけでは逆効果だ

 1月24日に行われた参院本会議の答弁で、安倍首相が漢字を読み間違えたことが話題になっています。安倍首相が国会でプラカードを掲げる人たちを批判したことに対して、民進党の蓮舫代表が訂正を求めたところ、安倍首相は「民進党の皆さんだとは一言も言っていないわけで、自らに思い当たる節がなければ、ただ聞いていただければ良いんだろうと思うわけで、訂正でんでんという指摘は全く当たらない」と答えました(1月25日付朝日新聞デジタル)。

 これは「訂正云々(うんぬん)」を「訂正伝々(でんでん)」と読み間違えたものと思われます。確かに漢字は似ていますが、「伝々」は意味をなさない言葉なので、なぜこのような読み間違いをしたのか理解に苦しみます。これでは官僚や側近の作った答弁書の字面をただ読んでいただけだと言われても仕方がありません。

 これに対して、ネット上では多くの批判が行われています。しかし、この読み間違いによって、安倍政権の支持者が減ることはないと思います。安倍政権や、日本会議をはじめとする安倍政権の支持者たちは、マスコミや大学教授など既存の知識層に対する反発感情を抱いています。戦後の日本がリベラルな体制になったのは彼らのせいだと考え、何とかして彼らの支配を打破しようとしています。そのため、「安倍首相は漢字も読めないほど頭が悪い」などと批判すれば、既存の知識層が安倍政権を潰そうとしているとして、安倍政権をさらに強く支持するようになるはずです。

 このことは、必ずしも安倍政権を支持しているわけではない人たちにも当てはまると思います。一般に、大学教授やマスコミなどの知識人は、「上から目線で物を語る奴」、「現場を知らないくせに偉そうなことを言う奴」などと思われています。そのため、もし知識階級が安倍首相の読み間違いを批判すれば、逆に安倍政権の支持率が上がる可能性もあります。実際、アメリカのブッシュ大統領は英語の言い間違いによって支持率が上がったと言われています。

 それゆえ、いま必要なのは、安倍首相の読み間違いを批判することに加え、どのような人たちが安倍政権を支持しているのかということをしっかりと認識することです。ここでは、『日本会議をめぐる四つの対話』(弊社刊)に収録されている、著述家の菅野完氏と京都精華大学専任講師の白井聡氏の対談を紹介したいと思います。(YN)

安倍政権の反知性主義

菅野 白井さんが指摘されている自己剥奪感の問題は、実は日本会議と極めて近い関係にある「日本政策研究センター」の伊藤哲夫さんも明確に文字化しているんです。彼はそこで、自分たちはマイノリティだという世界認識を示しています。つまり、政府や言論界、学問の世界はリベラルな勢力に牛耳られているため、まともな思想を持っているはずの自分たち、世間を代表しているはずの自分たちは虐げられている、と。これは自己剥奪感と同じことですよね。

 ただ、僕はこの伊藤さんの認識は正しいんじゃないかと思っているんです。戦後の日本の体制は、日本国憲法に基づく基本的人権や国際協調主義を基点としてきました。戦後民主主義の世の中は、漸進的であれ進歩していくという考え方などを中心に据えており、何だかんだ言ってもリベラルなものです。

 だけど、日本社会がそうした戦後体制を受け入れたかと言えば、必ずしもそうではない。世間の中には相変わらず「古層」のようなものがあって、収入の多寡や教育程度の高低とは関係なく、その古層に属している人たちはたくさんいます。彼らは戦後のリベラル体制からずっと放置されてきたんです。

 安倍政権は自覚的にその古層の人々に立脚点を置いていると思います。安倍政権は戦後のリベラル体制から落伍してしまった人たちの政権であり、彼らにとって戦後体制は打倒すべきアンシャンレジーム(旧体制)です。だから彼らは「戦後レジームからの脱却」と言っているわけですよね。

 これは冷静に見れば革命行為ですよ。伊藤哲夫さんも既存の体制を打ち砕かなければならない、自分はそれを「保守革命」と呼ぶと言い切っています。

 安倍政権が革命政権だというのは、別の側面からも確認できます。例えば官僚人事です。彼らは外務省事務次官に早稲田大学出身者を据えていますし、財務省事務次官には主計局ではなく主税局出身者を据えています。官邸官僚も私大出身者ばかりです。これは明らかに既存の秩序に挑戦するものですよね。

 革命を遂行するためには担い手が必要です。日本会議はその担い手として最適な団体だったのだと思います。日本会議は戦後のリベラル体制からずっと放置されてきた人たちの感情を、上手くレペゼン(代表)していますからね。

白井 近代的な価値観が優勢になっていく社会に対する違和感が、漠然たる自己剥奪感をもたらし、それが自己啓発的なものへの依存へとつながっていくわけですね。それは反知性主義の特徴の一つでもあります。