自分で自分の首を絞める人々
安倍首相はこれまで国家や国民生活を破壊するような政策を続けてきました。それにもかかわらず、自民党総裁選に勝利し、今後も首相を続けるのではないかと言われています。その一因は、国民の一定数が安倍政権を支持していることです。しかし、彼らの多くは安倍政権によって自分の生活を脅かされています。なぜ自分で自分の首を絞めるような真似をするのか、その背景を読み解く上で重要なキーワードになるのが「大衆」です。
ここでは弊誌2017年8月号に掲載した、作家の適菜収氏と山崎行太郎氏の対談を紹介したいと思います。
わかりやすい答えに飛びつく大衆
山崎 そういう意味では、我々はこれをきっかけに、「大衆とは何か」ということを考えないといけませんね。適菜さんは『安倍でもわかる保守思想入門』(KKベストセラーズ)で、ドイツの哲学者であるハンナ・アーレントを引用しながら大衆と全体主義の問題について議論していますよね。
アーレントは、難しい問題が生じた時に、単純明快でわかりやすい答えを求めることが全体主義につながると言っています。安倍首相は「この道しかない」と言っていますが、わかりやすい答えを求めたがるところに大衆の特徴があると思います。
適菜 大衆は白と黒の二項対立でしか物事を考えられないんです。私が安倍を批判すると、「だったら蓮舫を支持するのか」と言ってきたり。なぜ安倍を批判することが蓮舫を支持することになるのか。二項対立でしか物事を見ていないから、そういう発想になるんですよ。
小林秀雄は、白黒はっきりつけられないものこそ重要だと述べています。要するに、世の中には言語化できないものがあり、それをロジックで説明すると、大切な部分が切り捨てられてしまうと。
これは絵画について考えればわかりやすいと思います。大衆は絵画の説明文を読んで理解しようとする。しかし、画家は言葉では説明できないもの、凡人の目には見えないものを、絵という形で表現しているのだから、それを言葉で説明しても意味がない。
山崎 小林秀雄は「骨董」という短いエッセイでも似たような議論をしていますね。
小林秀雄は骨董品について、美術館や博物館に行けば骨董品を見ることができるけど、ガラス越しに鑑賞したり、学芸員から陶器の歴史などを聞いたって、骨董品はわからない。実際に買って、手にとり、いじり回すのが骨董だと言っています。それでなければ美の本質は理解できない、と。これも言語化できないものの重要性について論じたものです。
適菜 つまり、物事を分類し、ラベルを貼ることで本質が見えなくなってしまう。ラベルが貼ってあると、そのラベルを見ただけで物事を理解したつもりになってしまう。
安倍支持者たちがまさにそうです。偏向したメディアが安倍のおでこに貼り付けた「保守」だの「ナショナリスト」といったラベルだけを見て、誤認するわけです。
しかし、ウォール街で「もはや国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました」などと言い、大量の移民を国内に入れようとしている人物がナショナリストであるわけがないでしょう。どう考えても、急進的なグローバリストです。
山崎 そうですね。
適菜 自民党もかつての自民党とは別物です。かつては保守的な要素もあったし、少数ながらも保守的な政治家がいた。派閥も機能していたので、「真っ当な日本人」を切り捨てない層の厚さがありました。
でも、今の自民党はプレーンな都市政党でしょう。土地に根差した人々の声をきちんと国政に汲み上げる努力を放棄し、マーケティング選挙でバカを騙したほうが簡単だという話になってしまった。支持基盤が変わったのだから、自民党が農協をはじめとする中間共同体に攻撃を仕掛けたり、家族制度の解体を図ろうとするのも当然です。
山崎 もう一つ小林秀雄について言うと、小林秀雄は「ヒットラーと悪魔」という短いエッセイでヒトラーについて論じているのですが、彼は簡単にヒトラーに悪人や悪党というラベルを貼って理解しようとはしないんです。
もちろんヒトラーのやったことを肯定しているわけではありません。しかし、ヒトラーには人間の悪の本質というものがあらわれているとして、ドストエフスキーの『悪霊』のスタヴローギンを参照しながら徹底的に考え抜いているんです。
適菜 悪についても簡単に理屈づけしないということですね。悪についてロジックで説明してわかったつもりになるということは、そこで思考をやめるということですからね。
しかし、悪について思考停止してしまうと、悪と対峙することができなくなってしまう。大衆は悪について悪代官のようなステレオタイプのイメージしか持っていないけど、現代の悪は前近代とは違う形であらわれます。アーレントが言うように、アイヒマンのような凡庸な人間が巨悪を生み出す。