安倍政権が退陣しても加計問題は終わらない
安倍政権の支持率が急落しています。その原因の一つは、加計問題に対する安倍政権の不誠実な対応にあります。朝日新聞の世論調査によれば、この問題の対する安倍政権の姿勢を評価すると答えたのは10%、評価しないと答えたのは74%となっています(7月9日付朝日新聞)。
もし仮にこの問題をきっかけに安倍政権が退陣したとしても、自民党への信頼感が回復することはないと思います。次の総理大臣も加計問題の究明に取り組まなければ、来る総選挙を乗り切ることはできないでしょう。
ここでは、弊誌7月号に掲載した、憲法学者の小林節氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は7月号をご覧ください。
人治政治が行われているのか
―― 憲法学者として、加計学園の問題をどう考えていますか。
小林 これは民主的な法治国家の危機です。法治主義の原則は、法の支配と法の下の平等です。仮にこの原則が守られず、一部の人間が恣意的に法律の適用を免れるようなことがあれば、その国は法治政治ではなく人治政治を行っていることになります。加計学園の問題で問われているのは、日本は法治主義国家なのか、それとも人治主義国家なのかということなのです。
議論の前提として、人治主義と法治主義の違いを確認しておきましょう。
中世までは、王権による人治政治が行われていました。国家権力は王家、貴族の私物であり、王様の意向で全ての物事が左右されていた。権力者の気分次第、あるいは権力者との距離の遠近次第で扱いが変わり、民衆は権力者から黒を白と言わされながらも、その顔色を窺って生きていくしかなかった。
もちろん法はありましたが、それは支配階級が民衆に押し付けるものであって、彼ら自身は法の適用を受けず、法の支配から超越していたのです。
その後、啓蒙思想と近代市民革命により、民主的な法治国家が成立しました。国家権力は権力者の私物から国民大衆の幸福を増進する公器になり、政治家や官僚は権力者の家来、使用人から主権者国民の公僕になり、政治の原則は人治主義から法治主義になった。
法治国家の原則は法の支配と法の下の平等であり、その中で政治家は国会で法律や予算を定め、官僚はそれらを公平公正に管理、運用、執行する役割を担う。官僚の仕事は、誰であろうとどこであろうと国民みなに平等に法を適用することです。
それにもかかわらず、内閣総理大臣が政治家の分際をわきまえず、一部の人間に対して有利に法を適用することを官僚に強制したのではないか、すなわち「総理のご意向」で「30年来の腹心の友」を利するように行政が歪められたのではないか? という疑惑が持ち上がっています。
それが森友学園の国有地取得に続く、加計学園による獣医学部の新設です。
仮にこの疑惑が事実だとすれば、安倍首相は公器であるはずの国家権力を私物化し、かつ公僕であるはずの官僚を使用人として扱い、時代錯誤の人治政治を行っていたことになります。安倍首相は何様のつもりか、王様のつもりなのかということです。……