資本主義の終焉が近づきつつある
── 水野さんが「資本主義の死期が近づいている」と主張する理由は何ですか。
水野 資本主義に不可欠なフロンティアが、もはや地球上のどこにも残されていないからです。資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」、いわゆるフロンティアを広げることによって、「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステムです。「アフリカのグローバリゼーション」という言葉がささやかれるようになった時点で、資本主義が地球上を覆い尽くす日が遠くないことが明らかになりました。地理的な市場拡大は最終局面に入ったということです。
この「地理的・物的空間」が限界に来たため、アメリカはITと金融自由化が結合して作られる「電子・金融空間」を見出し、資本主義の延命を試みました。しかし、この空間も限界に来ています。各国の証券取引所は株式の高速取引化を進め、百万分の一秒、あるいは一億分の一秒で取引ができるようなシステム投資をして競争しています。このように時間を切り刻み、一億分の一秒単位で投資しなければ利潤をあげることができないのです。
1997年に日本の10年国債利回りは2%を下回りました。当初は景気の低迷によって、一時的に利回りが落ち込んだのではないかと考えられましたが、その後も一向に2%を超えない。戦後最長の景気拡大を経験したにもかかわらず、国債の利回りだけは2%を超えなかった。利子率がゼロに近づいたということは、資本の自己増殖が臨界点に達していることを意味しているのだと、私は考えるに至ったのです。つまり資本主義が終焉期に入っているということです。
アメリカのグローバリゼーションにはもう先がありません。後は宇宙に進出するしかないのです。グローバリゼーション、資本主義、近代化は、いずれもプロセスであり、到達目標がありません。資本主義は資本の自己増殖ですが、どこまで増殖するのかという到達点を決めていないということです。金融市場はもはやこれ以上膨らませようがないのに、さらに拡大させようとしている。その結果、金融危機に陥って逆に市場は収縮してしまうのです。
近代化もまた、「より遠くへ、より速く、より科学的に」というプロセスですが、その到達目標はありません。「より遠くへ」ということで、アフリカにまで進出してきたが、もはやこれ以上市場はありません。
「より速く」という目標も、旅客機を例に挙げれば、コンコルドはエネルギーコストに見合わなくなり、運行をやめてしまいました。
「より科学的に」という目標をさらに追求する余地はまだ少しはあると思いますが、近代化のプロセスの二つは限界に達しているので、「より科学的に」を発揮するにもその分野が限られてきます。
日本は成長主義と決別せよ
── 資本主義が終焉に向いつつあるとすれば、わが国はどう対応すべきなのですか。
水野 資本主義に代わる新しいシステムを作るしかありません。しかし、それが出来るには時間がかかります。その間、資本主義の暴走に歯止めをかけつつ、これまで追求してきた成長主義と決別することです。成長を求めれば求めるほど、資本主義の持つ矛盾が露呈し、ダメージや犠牲も大きくなります。日本は、ゼロ成長でいくしかないのです。そう言うと、「あり得ない選択だ」などと批判を受けますが、20年間一人負けをしたにもかかわらず、なおも日本の一人当たりGDPは4万ドルで、20年間一人勝ちをしてきたドイツよりも高いのです。ゼロ成長社会、定常化社会は、人類の歴史の上で決して珍しい状態ではないのです。拡大再生産のために「禁欲」し、余剰をストックし続けることに固執しない社会です。確かに、チャレンジ精神が旺盛な人にとっては少々退屈な社会かもしれませんが。
日本は、この「定常状態」を維持するアドバンテージを持っているのです。世界で最も早く「ゼロ金利」、「ゼロ成長」、「ゼロインフレ」に突人したからです。成長主義こそが倒錯していることに早く気づくべきです。成長戦略とは一歩前進しようとすることです。しかし、前進しようとすれば、二倍の圧力が返ってきて、逆に後退してしまうのです。
一番良い例がリーマン・ショックです。「貯蓄から投資の時代だ」と投資を奨励する流れに乗った人たちは痛い目に遭いました。原子力もそうです。もっと安価なエネルギー確保を目指した政府は、2010年に策定されたエネルギー基本計画で、2030年までに原子力による発電量の割合を29%から53%まで拡大しようとしました。一歩前に出ようとしたわけですが、結局安全管理が疎かになり、原発事故を引き起こしてしまった。福島県のすべての人が望んで原発を誘致したわけではありません。にもかかわらず、現在もなお多くの人が故郷を失い、避難生活を余儀なくされています。一歩前に出ようとしたら、二倍どころか、十倍くらい後退してしまったのです。
── 水野さんは資本主義の終焉だけではなく、西欧が終焉する可能性を指摘しています。
水野 西欧の歴史において最も重要な概念は、「蒐集」(コレクション)です。英国の美術史家ジョン・エルスナーらがまとめた『蒐集』には、西欧では社会秩序それ自体が本質的に蒐集的だと書かれています。資本主義はマネーを「蒐集」する最も効率のいい仕組みとして考え出されたものです。「海の国」である英米は、政治的に領土を直接支配することなく、資本を「蒐集」していきました。これに対して、「陸の国」であるドイツとフランスは、ヨーロッパ統合という理念にもとづいた「領土」の帝国化へと向かいました。ドイツが、ギリシャやスペインの救済せざるを得ないのも、「蒐集」をやめることができないからです。ところが、いま西欧の本質である「蒐集」が行き詰っているということです。
2001年の9・11(同時多発テロ事件)は、アメリカ金融帝国による富の「蒐集」に対する第三世界からの反抗と見ることができます。2008年の9・15(リーマン・ショック)は、過剰にマネーを「蒐集」しようとして自滅した結果、起きたことです。そして、2011年3・11(東日本大震災と原発事故)は、安価なエネルギーを「蒐集」しようとして起きた出来事と言えます。
以下全文は、本誌10月号をご覧ください。