曽野綾子氏のコラムの問題は何か

典型的な新自由主義者の発想

 作家の曽野綾子氏のコラムが再び物議を醸しているようです。曽野氏は1月24日付産経新聞に「利己的な年寄りが増えた」というコラムを投稿し、90代の高齢者がドクターヘリを要請したというエピソードを切り口として、次のように述べています。

しかし最近は、何が何でも生き延びようとする利己的な年寄りが増えた。/人間は平等だから、年寄りでも若者と同じような医療を要求する権利があると考える。できればそうだが、できなければ生きる機会や権利は若者に譲って当然だ。

 曽野氏は『週刊ポスト』(2月12日号)でもこのコラムの続編のような形でインタビューに応じていますが、ここには典型的な新自由主義者の発想が見られます。この考えを進めていけば、労働によって社会に貢献することができない人間は、社会から排除してもよいということになりかねません。これは高齢者だけでなく、中年や若者にも適用されるでしょう。
 新自由主義者は人間を労働力商品に還元するため、人の心の澱や襞といったものを理解できません。他者の気持ちになって考えることができないので、「社会的弱者」に目を配ることもできません。
 この点について、作家の佐高信氏が哲学者の山崎行太郎氏との対談本『曽野綾子大批判』(K&Kプレス)で次のように述べています。

佐高 ……曽野は以前『サンデー毎日』に連載を持っていたのですが、部落問題に関する記述をめぐって連載中止になったそうです。問題のコラムは曽野の『運命は均される』という本に収録されていますが、それは「自分は東京生まれ東京育ちだが、日常生活で部落問題が話題になった記憶がない。そんな自分に部落差別について教え込もうとする人たちがいる。差別を知らない人間に同和教育を吹き込むな」といった内容です。
 これは要するに、自分が差別はないと言っているのだから差別は存在しないんだ、ということでしょう。あまりにも酷いからってことで掲載できなかったんでしょうけど。


日本社会に蔓延する「無思想の思想」

 また、佐高氏は曽野氏の作家としての資質にも疑問を投げかけています。佐高氏が曽野氏を批判したところ、曽野氏から反論がありました。しかし、その反論がとても反論と呼べるものではなかったからです。

佐高 ……曽野は次々と違ったカードを切ってきて、こちらの批判を無視し、問題を逸らそうとする。彼女は自分と相手のどこが同じでどこが違うのか、自分がどういう位置づけであるのかといったことはどうでもいいんでしょうね。
 その意味で、曽野綾子には思想がない。彼女の議論の底が浅いのもそのためでしょう。
山崎 曽野が論争から逃げるのは、彼女にサブスタンスがないからでしょう。もし本当にサブスタンスを持っているなら、論争から逃げるわけにはいかないですよ。自らの存在と直結する問題、自らの生命線に突っかかってこられているわけですから、全存在を賭けて一線を守ろうとするはずです。

 これは弊誌2月号で批判した櫻井よしこ氏にも言えることです。その中で、山崎氏は櫻井氏の思想を「無思想の思想」だと述べています。思想がないから、櫻井氏の言論には一貫性がないのです。
 さらに言えば、これは安倍総理や、安倍総理を支持している人たちの多くにも言えることです。なぜ日本社会で「無思想の思想」が力を持つようになってしまったのか、我々は真剣に考える必要があります。(YN)