『君たちはどう生きるか』ブームへの違和感

ベストセラーになった理由

 吉野源三郎の著書『君たちはどう生きるか』を漫画化した『漫画 君たちはどう生きるか』(マガジンハウス)がベストセラーになっています。テレビ番組でも取り上げられ、発行部数は100万部を越えています。この漫画がこれほど広く読まれるのは、いまの日本社会が求めるものが描かれているからでしょう。いったい読者は『漫画 君たちはどう生きるか』のどこに惹きつけられているのでしょうか。

 この漫画の主人公は「コペル君」というあだ名の少年・本田潤一です。コペル君というあだ名は叔父につけられたもので、地動説を唱えたコペルニクスに由来します。彼は様々な問題に突き当たりますが、叔父の助けを借りつつ、問題を乗り越えていきます。

 少しストーリーを紹介しますと、コペル君のクラスでは、山口君という少年が中心となり、浦川君というクラスメイトをいじめています。しかし、山口君を注意すれば、今度は自分がいじめられるかもしれないと思い、みんな何も言えずにいます。コペル君も勇気が足りず、傍観しています。

 そうした中、北見君というクラスメイトが「山口君のやり方は卑怯だ」と、山口君につかみかかりました。北見君の行動に触発された少年たちは、ここぞとばかりに山口君に仕返ししようとします。

 しかし、それを制止する声があがります。それは山口君からいじめられていた浦川君でした。浦川君もやり返したいと思っていたでしょうが、一方的にやられることの辛さを知っているため、北見君たちを止めたのではないか。コペル君はそう考え、周りの流れに抗う浦川君に敬意を覚えるのでした――。

 これは当時の時代状況を反映したものです。吉野源三郎の原作が出版されたのは1937年のことです。当時の日本は、対外的には満州事変や国連脱退、対内的には五・一五事件や二・二六事件など、多くの問題を抱えていました。1937年7月には盧溝橋事件が勃発し、日本は戦争に突き進んでいきました。吉野源三郎はコペル君たちの姿を通して、同調圧力が働く当時の日本社会の様子を描いたのでしょう。

 実際、朝日新聞(1月3日)で、漫画化を手がけた羽賀翔一氏は次のように述べています。「吉野さんの息子さんにも話を伺いました。父が作品を書いた時は軍国主義まっさかりで、国全体が戦争に突き進む状況への危機感が強かった、それではいけないという思いを書きたかったが、検閲が厳しくてやむなく児童書にした、と。」

 いまの日本社会も「忖度」が話題になったり、伊藤詩織氏の告発が批判されていることからもわかるように、同調圧力が働いています。また、北朝鮮情勢が緊迫しているため、何かの弾みで戦争が起こらないとも限りません。さらに、アベノミクスの失敗により、経済も不安定です。こうした状況が「君たちはどう生きるか」という問いかけをリアルなものにしているのだと思います。

ひ弱なインテリたち

 しかし、話はこれだけでは終わりません。この物語にはこれに留まらない問題が含まれています。

 コペル君は父親を亡くしていますが、生活に困っている様子はありません。むしろ他のクラスメイトよりも綺麗な家に住んでいます。その上、叔父は失業中のため、しばしばコペル君の家にご飯を食べにやってきます。

 なぜコペル君はこれほどの生活を送れるのでしょうか。漫画版では描かれていませんが、実はコペル君の亡くなった父親は銀行の重役で、いわゆる女中もいます。同級生も大学教授や医者の息子などです。つまり、コペル君たちはブルジョワ家庭に生まれたインテリの卵なのです。吉野源三郎はインテリ目線に立って物語を構成しているのです。

 おそらく「君たちはどう生きるか」というタイトルの含意もそこにあります。「君たち」とは、インテリでブルジョワの階層を指しているのでしょう。要は、この本は、「君たち」=インテリに向けて書かれたものであり、「彼ら」=非インテリを想定読者としていないということです。

 もちろんインテリは社会や国家にとって重要な存在です。しかし、インテリには多くの問題があります。この物語にはインテリの問題点も描かれていますが、それはインテリの「ひ弱さ」です。

 先程の北見君は山口君との一件で、山口君のお兄さんをはじめ上級生に目をつけられます。そこで、コペル君たちは、もし北見君が上級生から制裁を加えられるようなことがあったら、体を張って止めようと約束します。ところが、実際に上級生たちがやってきたとき、コペル君は逃げ出してしまったのです。 

 インテリがいかに講釈を垂れようとも、彼らはひ弱であるため、結局のところ時流に迎合してしまいます。これは日本に限らず、万国共通です。たとえば、ヨーロッパでベストセラーとなったミシェル・ウエルベックの『服従』(河出書房新社)にも、フランスのインテリたちが時流に迎合していく様が皮肉なタッチで描かれています。

 『君たちはどう生きるか』を称賛している人たちの多くは、ただ本書を持ち上げるだけで、本書の持つ問題点を指摘しようとしません。それではコペル君が批判した同調圧力そのものではないかという思いからも、一言批判を加えた次第です。