永田町の枠組みを超えた新政治勢力を!
―― 亀井さんは、野田政権の消費増税法案に反対して、連立離脱を表明したが、結局国民新党から離党するという結果になった。
亀井 政治家として国民との約束を破るわけにはいかない。二〇〇九年九月九日に成立した国民新党、民主党、社民党による三党合意は、「現行の消費税五%は据え置くこととし、今回の選挙において負託された政権担当期間中において、歳出の見直し等の努力を最大限行い、税率引き上げは行わない」と明記していた。そして、野田政権も国民新党と民主党との合意書で、この三党合意を尊重することを確認していた。
しかし、野田政権は国民との約束を破り、消費増税に反対する多数の声を無視し、消費増税法案を閣議決定しようとした。政治家は、国民と約束したことを破っちゃいけない。三月二十九日、私は首相公邸を訪れ、連立離脱を野田首相に通告したのだ。
郵政改革は、私が郵政改革担当大臣として提出した法案を引っ込め、名誉も名も捨て、議員立法で今国会成立の見込みがついていた。消費増税で譲ってまで民主党との連立を維持しなければならない理由はなかった。しかし、残念なことに国民新党内で混乱が起きてしまった。その責任を感じ、政調会長職を解かれた亀井亜紀子氏とともに離党することにした。まあ、みっともない親子喧嘩みたいなものだ。「では親父が家を出ればいいだろう」と。それで、私は党を出た。
もはや、既存の政党にこだわる時ではない。従来の永田町の論理が限界に達しているのだ。既成政党の合従連合でわが国の状況を変えることなどできない。「中央の政治、永田町の議員だけに任せてはおけない」と言う人たちが溢れている。政治の力学を根本的に変えるために、そうした思いを抱いている人たちと一緒に考え、行動していく。
明治維新と同様に、地方から湧き起こるエネルギーを結集しなければいけない。そして、既存の枠組みを超えた「オール・ジャパン」で新たな政治勢力を誕生させる。次の選挙を機に、必ずこれを実現させる。石原慎太郎氏も「死ぬ気でやる」と言っている。いまこそ国民のために私は行動を起こす。
財務省支配を許すな!
―― 現在のような状況で増税を強行すれば、さらに景気を悪化させることになる。
亀井 国家が萎んでしまっているときに、さらに消費増税をしようなどというのは、きちがい沙汰だ。井戸がぶっ壊れて水もたまっていないときに、井戸を直すことを考えずに、水をくみ上げることだけを考えている。
橋本政権時代の一九九七年に三%だった消費税が五%に上げられ、景気は後退していった。GDPも橋本政権時代の五百十兆円から四百五十兆円に、六十兆円も縮小してしまった。私は一九九六年の総選挙の際にも「今消費税を引き上げれば回復基調にある景気が再び後退する」と主張して譲らなかった。
橋本政権は消費増税など緊縮財政を強行したが、一九九八年七月に発足した小渕内閣で、私は政調会長に就任し、緊縮財政から積極財政へ転換させた。その結果、GDPはマイナス成長から二%成長に上がっていった。ところが、小泉政権で再び緊縮財政がとられた。
―― 野田政権も財務省の論理に乗っかり、消費増税に突き進もうとしている。
亀井 財務省の連中は、未だに「昔のそろばん」で勘定し、それで政治を動かそうとしている。財務省は財政赤字を強調し、「これ以上の借金を将来の世代に残してはいけない」などと言うが、日本の政府債務は、ギリシアなどとは違う。日本の場合には、政府債務といっても九五%が国内からの債務なのだ。
―― 財務省所管の「外国為替資金特別会計」には、百兆円の外貨準備(資産)がある。これは、国民からの借金(短期国債)で調達され、その大部分が米国債に投資されている。なぜ、これを財源にしないのか。
亀井 消費税に頼らなくても、無利子非課税国債など、いくらでも方法はある。ところが、財務省は財源について考えるための材料を国民に提供していない。政治家は、国民の立場に立って財務省と対決すべきだ。
日本人は魂を抜かれた
―― 財務省の論理に政治家が屈してしまっている。
亀井 政治家は財務省に操られている。まったく政治家の体をなしていない。政治家が国民の生活など見向きもしなくなっているのだ。だから、いまの「政治家」たちは政治家ではない。バッジをつけること、自分のポストのことしか考えていない。
―― これほどまでに政治が劣化してしまったのはなぜか。
亀井 永田町に本物の政治家がいなくなってしまったのは、日本人全体の心が病んできたからであり、政治家だけの問題ではない。
やってはならない戦争をやり、それに負けてしまい、占領されて、日本人は魂まで抜かれてしまったのだ。本来日本人は、私利私欲に走らず、困っている人がいればそれを助け、公のために尽くそうという心を持っていたはずだ。ところが、魂を抜かれた日本人は、自分のカネ儲けだけに専念するようになってしまった。その結果が、今日の日本人の姿なのだ。
自分さえ良ければ他人のことなど知ったことではないという利己主義が蔓延した。個人の欲望が肥大化し、人間としての心が失われ、人間を人間扱いしないような社会になってしまっている。だから、本来わが国の伝統にはなじまない市場原理主義が簡単に浸透してしまった。
そして、いまや「国家の財源が足りなければ弱い者から取ればいい」という安易な考えが罷り通るようになってしまった。強者からは取ろうとせず、弱者から取ろうとしている。税制は、国民生活、特に弱者の生活を守るという視点に立って考えなければだめだ。もちろん直間比率の問題は常に検討しなければならないが、民が苦しんでいるときに、弱者の生活を圧迫するような増税をすべきではない。
皆で助け合い、皆で協力して生きていこうという日本人の良き生活文化はどこに行ってしまったのか。現在の政治は、一部の人たちの富と権力を守ろうとする政治に堕している。……
以下全文は本誌2012年5月号をご覧ください。