しかし、そもそも「善意」とは何か。検察の「善意」を批判するものは、彼らが「悪意」に基づいて小沢議員を捜査した方が良かったとでもいうのであろうか。
裁判所の「良識」についてもそうだ。検察の「善意」は疑うが裁判所の「良識」は称えるというのであれば、司法の判断を正しいものだと信じている点では、小沢議員に対する国策捜査を評価する人々と何の違いがあるというのか。
かつてソクラテスに死刑判決が下った時、妻が「あなたは不当に殺されようとしている」と述べたのに対して、ソクラテスは「それならお前は、私が正当に殺されることを望んでいるのか」と応じたという。我々は2400年前より何一つ前進できていないようである。
小沢裁判の本質は「善か悪か」ではなく、「友か敵か」(シュミット)にある。それは、官僚と政治家による熾烈な権力闘争なのだ。道徳や道義などといった言葉に目を奪われてはならない。我々はまず、「政治的なもの」が付きまとわない裁判など存在しないことを認識するところから始めなければならない。
本書の主人公・坂本清馬は、大逆事件に連座して無期懲役の判決を受けた人物である。彼は昭和まで生き抜き、冤罪を晴らすべく再審請求を行った。
これまで大逆事件については、幸徳秋水や管野須賀子など処刑された人々にスポットが当てられることはあったが、処刑を免れた人々はその陰に隠され、あまり注目されてこなかった。
死刑を回避できたとはいえ、彼らの送った人生もまた過酷なものであった。ある人は自死し、ある人は獄死した。生き残ったのだからそれでよい、と済ますわけにはいかない。これが本書を貫く一つのテーマとなっている。
大逆事件が国策捜査であったことは今や疑いようのない真実である。それは、証拠は薄弱であるが幸徳秋水ほどの男が関係のないはずはない、という推認(!)のもとに始められたものであった。
事件の主任検事であった小山松吉によれば、事件発覚当時、「有史以来の大事件であるから、法律を超越して処分しなければならぬ、司法官たる者はこの際区々たる訴訟手続きなどに拘泥すべきではないという意見が政府内部にあった」という(本書291頁)。
もっとも、事件の筋書きに無理があることは彼らも自覚していたようで、小山は「邪推といえば邪推の認定」(同前)などと述べている。また、捜査を指導した平沼騏一郎も後年、「大逆事件被告には申しわけない、恥ずかしいことをした」と懺悔していたと言われている(306頁)。
大逆事件については、マスコミが果たした役割も軽視できない。各紙が大逆事件をトップで扱った。『毎日電報』には「大逆賊、無政府党の首魁」、『国民新聞』には「日本国民の公敵、不倶戴天の逆徒たる幸徳伝次郎」という見出しが踊った(29頁)。また、大逆事件を巡る各紙の報道がしばしば横並びであったことからも、それらが検察側のリークに基づいていたことは間違いない。
こうした中、検察や彼らが作りだした風潮に対して一人立ち向かったのが徳富蘆花である。旧制第一高等学校で行われた講演において、彼は次のように獅子吼した。
「諸君、幸徳君らは時の政府に謀叛人と見做されて殺された。諸君、謀叛を恐れてはならぬ。…新しいものは常に謀叛である。『身を殺して魂を殺す能わざる者を恐るるなかれ』。肉体の死は何でもない。恐るべきは霊魂の死である。人が教えられたる信条のままに執着し、言わせらるるごとく言い、させらるるごとくふるまい、型から鋳出した人形のごとく形式的に生活の安を偸んで、一切の自立自信、自化自発を失う時、すなわちこれ霊魂の死である。我らは生きねばならぬ。生きるために謀叛しなければならぬ。」
1965年12月1日、清馬による再審請求は棄却された。無実の罪を晴らすことは果たせなかったが、最後まで己が意志を貫いた清馬の一生は、まさに「謀叛人」のそれであった。
小沢議員をめぐる権力闘争は今しばらく続きそうである。今後、我々は如何なる態度でこの事件に臨むべきか、本書に描かれている清馬の生き方はそれを考える上でのヒントとなるだろう。