【書評】 いま本当に伝えたい感動的な「日本」の力

 大東亜戦争に至るわが国の先駆者の苦闘の中には、西洋近代文明の超克というビジョンがあったと、評者は信じている。わが国がそうした壮大な目標を成し遂げるには、他を圧倒する程の力と理念が必要だと思いがちである。だが本書を読むと、意外に身近なところから、この壮大な目標に近づくことができるように思えてくる。
 本書が注目するのは、安全保障などと比較して一見地味な経済協力の分野である。冷戦終結後、ソ連との援助競争を展開する必要がなくなったアメリカは、経済援助を途上国の自由・民主化の道具として位置づけてきた。日本の政府開発援助もこれに追随してきた印象がある。
 ところが、40年にわたり外交官として活躍してきた著者の馬渕睦夫氏は、本書において日本の経済援助が独自の哲学に基づいていると強調する。馬渕氏は、日本外交に秘められたわが国独自の価値観を紐解くとの立場から、経済援助の理念を説明している。
 わが国は、昭和33年にアメリカ等から借款を受けているにもかかわらず、インドに借款しようとした。このとき外務政務次官の松本瀧藏は国会答弁において、「貧者の一灯」の精神が重要だと述べたという。こうした事実に基づいて、馬渕氏は援助は量だけで測られるものではなく、質の方が重要だと主張し(65頁)、相手の国の発展状況を見ながら、それに合わせて走るスピードを調節して、わが国も一緒に走ろうという思想こそが大切だと説く。馬淵氏はそれを「伴走者」としての協力と表現する。馬渕氏によれば、この援助理念に基づいて、わが国は93年にアフリカ開発会議を東京で開催し、オーナーシップ(自立)とパートナーシップ(対等の協力者の精神)を二本柱とする支援を行っていくと宣言した。この「伴走者」としての協力は、自由・民主主義、市場経済、人権など、欧米流の価値観を画一的に適応するものではないことを意味している。
 ここで馬渕氏は、途上国の「自立」の究極的な形が「近代化とアイデンティティの両立」だと主張する。これこそ、明治以降の日本が背負って来た課題であり、いまの途上国の最大の課題なのである。
 馬渕氏は、わが国が「近代化とアイデンティティーの両立」に成功したと評価し、その秘訣は日本人が古来から持っている「造り変える力」だと説く。この「造り変える力」という言葉は、芥川龍之介の短編小説「神神の微笑」の中に出てくる。安土桃山時代の日本ヘキリスト教の布教に来たイタリア人神父オルガンティノに対して、ある老人がキリストも結局日本では勝てないと述べ、「我々の力は、破壊する力ではなく、造り変える力だ」と付け加える。馬渕氏は、「破壊する力」とは、西洋の植民地主義者の弱肉強食の力の論理であり、一神教的な対立世界観に基づく権力政治の論理だと述べる(109頁)。
 「造り変える力」とは、日本の伝統文化にあった形に造り変えて受け入れ、多くの場合元の物よりも優れたものに改良してしまう智恵である。馬渕氏は「訓読みという離れ業は、日本文化の独立を守ったノーベル賞級の大発明」と評している(113頁)。
 では、「造り変える力」の源泉とは何か。馬渕氏は、それが「和」と「共生」だと主張し、ダーウインの進化論に対して、「生物は優勝劣敗の法則で進化してきたのではなく、互いに助け合いながら進化してきた」という「共生的進化論」を唱える。
 馬渕氏は、新しい世界秩序へ向けての大転換期にある今日の世界において、「造り変える力」を発揮してわが国が新たな文化を創造することは、世界の文化の発展に貢献することを意味すると説き、次のように書いている。
 〈世界にとって新しい生き方とは、経済至上主義ではない生き方です。わが国の伝統的価値観の「和」や「共生」は経済効率主義になじまないものです。わが国の生き方は損得勘定が行動原理ではありません。損得を超えた価値を大切にする生き方です。…日本人にとって経済活動は精神修養と同義です。つまり、経済は倫理や道徳を抜きにしては存在できないという信念です。〉(235頁)
 このような伝統的価値観に基づいた日本の再生は、明治開国以来の最大の課題であった西洋文明を真に日本的文明に土着化することを意味すると、馬渕氏は結んでいる。

(編集長 坪内隆彦)