奥山真司 日米安保条約破棄に備えよ!

 大統領選挙を控えたアメリカはいま、外交戦略の大きな転換期に差し掛かっている。それを象徴的に示しているのが、リアリスト系国際政治学者クリストファー・レインの唱えるオフショア・バランシングという大戦略のアイディアの台頭であり、それはアメリカからの日米安保破棄要求をもたらす可能性すらある。レイン著『幻想の平和』の翻訳者で、欧米の地政学、戦略論に精通した奥山真司氏に、アメリカの外交戦略に何が起きているのかを語っていただいた。

オフショア・バランシングは一九世紀英国外交の再来だ

―― クリストファー・レインはアメリカの外交戦略がどうあるべきだと主張しているのか。

奥山 レインらのリアリストが手本としているのが、一九世紀のイギリスの外交戦略だ。当時イギリスは覇権国だったが、自国に対して脅威になる国の出現を防ぐために、ヨーロッパ大陸に対して一歩引いた立場に立ち、巧みな勢力均衡(バランス・オブ・パワー)外交を展開した。ある国を支援して別の国とぶつけさせ、相討ちさせることによって、両国の力を相殺させたり、関係を分断したりするという政策だ。

 レインの提唱するオフショア・バランシングとは、「イギリスという島国とヨーロッパという大陸」という関係を、「アメリカという島国とユーラシアという大陸」に置き換えて、イギリス流の勢力均衡策を採用しようとするものだ。自らは「沖合」(オフショア)から、バランサーとして立ち回り、ユーラシア大陸の勢力均衡を図るということだ。

 大国の勢力拡大に対して自ら直接対処するのではなく、それを間接的に他国にやらせる。そして最後の段階で、自ら積極的に介入するのではなく、乞われて出て行く方が望ましいと考える。この戦略のキーワードは、責任(バック)を転嫁(パス)すること、つまり「バック・パッシング」である。かつてイギリスは、ナポレオン率いるフランスがヨーロッパ大陸で暴れていた一八世紀後半から一九世紀前半、ヨーロッパ大陸内のバランスがフランス側に大きく傾きつつあることを懸念したが、自ら出ていくのではなく、プロシアやロシアやオーストリアなどの周辺の大国に責任転嫁し、対処させようとした。

―― 外交理念やイデオロギーよりも国益を優先させる冷徹なリアリズムだ。

奥山 外交理念に基づいて特定の国と永続的な友好関係を結んだり、特定の国を敵視したりするのではなく、あくまでも国益に基づいて国家関係を規定としようとする。極端に言えば、すべての国は悪であるというところから出発するのだ。

リアリストは日米安保条約破棄を迫る

―― オフショア・バランシングが採用されると、アジアでは何が起きるのか。

奥山 中国の台頭に対して、アメリカは責任を負わず、アジア各国に責任を持たせるという方向に進む。レインは、台湾、尖閣諸島、南シナ海などは、中国や日本にとっては重要かもしれないが、アメリカにとっては本源的な戦略的価値はないと言いきっている。ジョージ・ワシントン大学のチャールズ・グレイザーは、一層はっきりと、アメリカは台湾に対するコミットメントを取り下げることを検討すべきだと主張している。アメリカが圧倒的な軍事力を誇っていた時代は過ぎ去り、いまや中国はアメリカに対する核報復力を手にした。こうした状況で、台湾や日本を守る際の潜在的なリスクが増大しているのである。

 そこで、日本はアメリカに頼るのをやめて、自らの力で中国に対抗しろと主張することになる。具体的には日米安保条約を破棄し、日本の自主核武装を支援すべきだとの主張となる。

 海外の紛争にアメリカは巻き込まれるべきではないという主張がリアリストの間で高まっているのだ。キッシンジャーとならぶ国際政治学の大御所ズビグニエフ・ブレジンスキーもまた、近著『Strategic Vision』において、一九世紀のイギリスの戦略に学ぶべきだと主張している。ただ、レインと異なるのは、ユーラシア大陸の国家同士をぶつけさせるよりも、各国の勢力の均衡と仲裁の役割をアメリカが果たすべきだと説いている点だ。彼は、まずアメリカをはじめとする西洋諸国の内部を安定させるべきだと主張し、東アジアではバランサーとなるべきだと言いながら、驚くことに、日中間の歴史問題を全て解決させるなどして、両国を完全に和解させるという戦略を提示している。さらにインドと中国の関係も良好にさせよと主張している。いずれにしても、リアリストの議論は、アメリカがユーラシア大陸の戦争に巻き込まれたくないという意識を強く反映している。

日本の自主核武装論は理解される

―― 彼らは日本の核武装を脅威とは考えないということか。

奥山 リアリストの議論はレインの師匠でもあるケネス・ウォルツの理論を土台としている。ウォルツは、最小限の核報復力を備えた国同士は戦争できないという核抑止理論に基づいて、核兵器国がさらに増えて十数カ国に増えた方が、むしろ世界は安定すると主張した。私が翻訳した『大国政治の悲劇』の著者ジョン・ミアシャイマーもまた、核武装した島の大国が沢山あれば世界は安定すると説き、暗に日本の核武装を促している。

―― 対米自立、自主防衛を主張している我々には、リアリストの主張の台頭は天祐とも感じられる。いま、リアリストが台頭してきた背景は何か。

奥山 冷戦終結後、アメリカでは一極覇権・単独主義が強まり、その後もアメリカの軍事介入を主張する「選択的関与」路線を維持してきた。ところが、ここにきてアメリカでは一極覇権を維持するコストに対する認識が高まってきた。特にリーマン・ショック以来のアメリカ経済の変調の中で、アメリカは国防費を維持する財政的な余裕がなくなっている。背に腹は代えられないということだ。

 かつてイギリスの歴史学者ポール・ケネディは、アメリカの「帝国的過剰拡大」を指摘し、アメリカ衰退論を唱えたが、いまその正しさが認められつつあるのだ。一方、イラク戦争に失敗したことからネオコン流の外交路線も行き詰った。

 すでに、二〇一一年二月二十五日にはロバーツ・ゲイツ国防長官がウェストポイントの米陸軍士官学校で行ったスピーチで、オフショア・バランシングを「アメリカの次の大戦略である」として提唱している。レインは、ゲーツが学長を務めるテキサスA&M大学の「ロバート・ゲーツ特任教授」である。

 また、パトリック・キャレット元海兵隊大佐が提案した「キャレット計画」は、ユーラシア大陸から離れて太平洋のオセアニア周辺海域から中国を牽制する、まさに「オフショア・バランシング」的な発想である。軍の政策立案者の間にも、朝鮮戦争のようなことは二度とやりたくないという意識が広がっていて、オフショア・バランシング的な考えが浸透しつつある。

 共和党には、もともと孤立主義的政策の伝統があり、大統領選挙の共和党候補の座を争っているロン・ポールは、在日米軍撤退を含む孤立主義的政策を主張している。もちろん、ただちにオフショア・バランシングや孤立主義的政策が全面的に採用されることはないだろう。未だに従来の戦略を維持しようという勢力は一定の力を持っている。これから、三、四年はオフショア・バランシングと従来の外交政策との綱引きが続くだろう。

―― 政策担当者は十分にリアリズムを持っているが、一般のアメリカ国民には、十字軍外交に共鳴するメンタリティが強い。

奥山 確かに、アメリカの国民性にはそうした傾向がある。しかし、政策トップは変わり身が早い。一九七二年のニクソン・ショックに示されるように、アメリカは大胆な政策転換をやる国でもある。

 アメリカ依存の外交政策を継続したいと考えている人々は、オフショア・バランシングの採用などあり得ないと信じているが、突然オフショア・バランシングに基づいた政策が採られかねない。そのときパニックに陥らないよう、日本のエリートたちはそうした事態を想定して準備を始めるべきだ。……

以下全文は本誌4月号をご覧ください。