佐々木実 竹中平蔵とは何者か

問われる田村憲久厚労大臣の責任

── 竹中平蔵氏が会長を務めるパソナグループが話題になっています。ところが、一般紙は覚せい剤取締法違反容疑でASKAとともに逮捕された栩内香澄美容疑者とパソナの関係について、一切報道していません。

佐々木 私は、ASKA事件が起こる前から別の問題でパソナの取材をしていたので、この女性がパソナグループ代表の南部靖之氏と関係があるという情報がすぐに入ってきました。

 栩内容疑者は元麻布にあるパソナの接待施設「仁風林」で客の接待をする女性の一人だったといわれ、ASKA容疑者とも「仁風林」で出会ったと報じられています。逮捕当時は「セーフティネット」という会社に勤務していました。パソナ側は、セーフティネットとは資本関係がないなどと弁明していますが、じつは南部氏と縁の深い会社です。第一次安倍政権のときに『週刊文春』(2007年7月12日号)が取り上げています。社長を務める山崎敦氏は、海上自衛隊にいた人です。自衛隊を辞めてすぐパソナに入り、2001年にセーフティネットが設立されると社長に就きました。山崎氏は、「パソナに来ないか」と南部氏から直接誘われたと発言しています。記事ではセーフティネット幹部が、「セーフ社(注:セーフティネット)の大株主は、『サウスルーム』という会社ですが、これは南部さんの個人会社。セーフ社は南部さんに育ててもらったようなものなんです」と証言してもいる。

 『週刊文春』がセーフティネットを取り上げたのは、防衛省と取り引きをしていたからです。パソナグループのベネフィット・ワンは、小泉政権時代に防衛庁職員26万人の福利厚生業務を防衛庁共済組合から請け負っていました。年間14億円で受注したといいます。セーフティネットは、このベネフィット・ワンと組んで、防衛庁への食い込みをはかっていたようです。

 ところが、防衛庁幹部がパソナ関連の未公開株を受け取ったのではないかという疑惑が取り沙汰されたこともあり、防衛庁はベネフィット・ワンとの取り引きを2年で打ち切った。しかし、セーフティネットはその後も防衛庁から仕事を受注していました。防衛庁職員のメンタルヘルス対策で電話相談業務などをしていたということです。

 つまり、小泉政権時代からパソナは役所関係の仕事を受注してきたのです。ボリュームがあってうま味があることをよく知っているのです。パソナは役所のOBを大勢受け入れてきましたが、南部氏が竹中氏をパソナに迎え入れた背景としてこうした事実を押さえておくことは重要です。

 竹中氏は2005年10月、第3次小泉改造内閣で総務大臣に就任、2006年9月に退任するわけですが、退任した翌月の10月、パソナの創業30周年のイベントに招かれ、「特別講演」を行っている。翌年2月にはパソナの特別顧問に就任しました。ちょうどこのころ、パソナは、竹中氏がついこのあいだまで大臣をつとめていた総務省から仕事を受注します。国家公務員の再就職先を紹介する総務省所管の「人材バンク」の仲介業務です。総務省が実施した企画競争に勝ったのがパソナでした。

── 安倍政権で、竹中氏はパソナに利益誘導しているように見えます。

佐々木 ASKA事件をきっかけに、パソナの接待施設「仁風林」に田村憲久厚労大臣が招かれていたことが発覚しました。厚生労働省は人材派遣ビジネスを監督する役所です。田村大臣は国会で追及され、昨年2月28日、南部氏から「ゲストスピーカーで話してほしい」と頼まれて「仁風林」に行ったことを認めました。

 問題は、「仁風林」に招かれた直後の田村氏の言動です。およそ2週間後の3月15日の「第4回産業競争力会議」で、田村厚労大臣は「これまでの雇用維持型の政策から、労働移動支援型の政策にシフトする」と語り、民間人材ビジネスを活用した労働移動支援を抜本的に拡充すると宣言したのです。しかも同じ会議の席で、パソナ取締役会長の竹中氏が、「今は、雇用調整助成金と労働移動への助成金の予算額が 1000:5くらいだが、これを一気に逆転するようなイメージでやっていただけると信じている」と述べている。まるで田村大臣と口裏をあわせたかのような発言です。

 なぜこの問題を大手メディアが取り上げないのか。『日刊ゲンダイ』などは報じていますが、一般紙は報道しません。国会で追及された際、田村大臣はわざわざ「仁風林」には「大手マスメディアの方々もいた」と語りましたが、かりにそんな言葉で口封じされたのなら話にもなりません。

日本のエスタブリッシュメントの崩壊と竹中氏の台頭

── いまや南部氏は政界や官界の有力者と強いパイプがあると言われています。

佐々木 私がASKA事件発生の前に取材していたのは、南部氏に対する民事訴訟事件です。「2億円近いお金を貸したのに、返済していない」として、関西の相場師から民事裁判を起こされているのです。パソナが上場を控えた時期、南部氏が複数の相場師と深いつきあいをしていたらしいことがわかってきましたが、人材派遣業を営む起業家がなぜ相場師と関係をもつ必要があったのか。大きな謎です。

 1998年に日本長期信用銀行が破綻した際、長銀のシンクタンク「長銀総合研究所」を買おうとしたのがパソナでした。長銀総研は有名なエコノミストを擁し、銀行系シンクタンクの中でも格が高いシンクタンクとして知られていました。長銀側がパソナ1社による買収に難色を示したため、エイチ・アイ・エスなどと共同で買収することになりました。そして、「社会基盤研究所」として新たなスタートを切ったのですが、長銀総研時代の職員のほとんどが辞めてしまいます。南部氏を訴えた相場師は、再スタートを切った社会基盤研究所に資金を提供していた。確実にいえるのは、この時期、パソナはまだ資金的に楽ではなかったということです。

 そんなパソナを急成長させたのが、小泉政権が進めた労働規制の緩和でした。労働者派遣法が大幅に改正されて、人材派遣市場が急拡大した。竹中氏がパソナに迎えられたのは決して偶然ではないでしょう。「構造改革」で労働規制が緩和され、人材派遣会社は潤った。恩恵を受けた南部氏が、「構造改革」の指揮官を三顧の礼をもって迎え入れるのはわかりやすい構図といえます。そしてパソナ取締役会長となった竹中氏はいまなお、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議の場で“大活躍”している。南部氏にとっては頼もしいかぎりでしょう。……

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