【書評】 道元の和歌

 わけのわからぬ言説を「禅問答のようだ」と言ったりするが、実際、日本人による初めての哲学的著作である道元の『正法眼蔵』は難解を極める。ところがその道元は和歌の詠い手でもあり、49首が現存している。本書は、道元と同時代の様々な歌と対比しながら道元の歌を紹介し、鑑賞する。しかも、本書は道元の生涯を追いつつ、鎌倉時代という時代精神も紹介しつつ構成されているので、和歌を通じて、鎌倉時代という困難な時代を生きた沙門道元の姿が生き生きと浮かび上がってくる。
 律令体制の機能麻痺と武士の台頭という大社会変動は、自然環境破壊をももたらしていた。
「深刻だったのは、自然を痛めつけてまで土地を奪い合う行為が日常茶飯となって、人びとが利得の追求に狂奔する風潮にもてあそばれてしまったことだ。野卑なる武士たちが国土を荒廃させ、日本人の伝統的な心性であった自然に対する畏敬の念が薄れて、情操が地に堕ちていった」
 だが道元の心性には「日本人の伝統的な心性」、神仏習合的な自然への畏敬が生きていた。
 春は花 夏ほととぎす 秋は月   冬雪さえて すずしかりけり
 一見、四季の美をただ並べたような、何の工夫もない歌だが、只管打座して静まり返った道元の心にとって、自然は人間が言葉を工夫しなくてもそもそも美しいのだから、そのあるがままに歌えばそれで済んだ。
 山深い永平寺に籠った道元にとって、周りの自然の姿は御仏の教えそのものとして見え聞こえたようだ。
 峰のいろ 谷のひびきも 皆ながら わが釈迦牟尼の 声と姿と
 人間は言葉で思考する。もっと言えば、人間とは言葉そのものである。道元はここにこだわった。言葉を用いて言葉を突き詰め、言葉そのものを解体する、言葉を用いて言葉に出来ない悟りの境地を求める、そこに『正法眼蔵』の難解さがあるらしい。
 謂ひすてし その言の葉の 外なれば 筆にも跡を とどめざりけり
 本書は道元の生涯、思想、感性を、著者の豊富な教養によって生き生きと描いた名著である。

(副編集長 尾崎秀英)