安政5(1858)年6月、徳川幕府の大老・井伊直弼は朝廷の勅許なしに日米修交通商条約に調印、イギリス・オランダ・ロシア、フランスとも同様の条約を結んだ。これらの条約は、関税自主権がなく、治外法権を承認する不平等条約だった。各条約における治外法権の撤廃は、明治27(1894)年7月に結ばれた日英通商航海条約を契機にようやく実現した。だが、わが国は戦後、1894年以前に逆戻りしてしまったのではないか。その起点が、日米地位協定(前身は日米行政協定)の締結だったと見ることもできる。
本書は、この日米地位協定の問題点をQ&A方式でわかりやすく解説している。問題点は以下の5つに整理される(75頁)。
①米軍や米兵が優位にあつかわれる「法のもとの不平等」、②環境保護規定がなく、いくら有害物質をたれ流しても罰せられない協定の不備など「法の空白」、③米軍の勝手な運用を可能にする「恣意的な運用」、④協定で決められていることも守られない「免法特権」、⑤米軍には日本の法律が適用されない「治外法権」――。
地位協定の発端は、強大な権益を確保しようとするアメリカの横暴だった。日米安保におけるアメリカ側の交渉担当者ジョン・フォスター・ダレスは「われわれが望む数の兵力を、[日本国内の]望む場所に、望む期間だけ駐留させる権利を確保すること」を目標にしていた。この事実は、ダレスがわが国を属国扱いしていた証拠である。
本書が指摘している通り、マイケル・シャラーの研究により、占領終結に向けた交渉の中で、アメリカ側代表は1951年2月中旬までに、日本の全土基地化、在日米軍基地の自由使用という条件を日本側に認めさせていたことが明らかになった。
しかし、アメリカは基地や米軍についての具体的取り決めは絶対に日本国民に知らせたくなかった。こうした売国的取り決めに日本人が納得するはずはないからだ。ダレス自身、「アメリカにそのような特権をあたえるような政府は、日本の主権を傷つけるのを許したと必ず攻撃されるだろう」と語っていた(48頁)。
だからこそ、秘密の了解として合意しなければならなかった。それが日米行政協定の正体であると本書は指摘し、さらに、行政協定とは、〈講和条約や安保条約に書きこめない、もっとも属国的な条項を押しこむための「秘密の了解」〉だったと書いている(60頁)。
この問題を早くから指摘していたのが、日米開戦前の外務省アメリカ局長で、1947年に外務次官に就いた寺崎太郎だった。彼は、対米従属路線を強める吉田茂と衝突し、わずか8カ月間で辞職していた。
彼は「周知のように、日本が置かれているサンフランシスコ体制は、時間的には平和条約[サンフランシスコ講和条約]─安保条約─行政協定の順序でできた。だが、それがもつ真の意義は、まさにその逆で、行政協定のための安保条約、安保条約のための平和条約でしかなかったことは、今日までに明瞭であろう。つまり本能寺[本当の目的]は最後の行政協定にこそあったのだ」と書いていた(45頁)。
外務省は、1972年の沖縄返還によって、地位協定に伴う問題の発生を見越して、裏マニュアルを作成していた。それが、1973年4月に作成された「日米地位協定の考え方」だった(1983年12月に増補)。本書は、この文書について「その解説・運用の基本姿勢は、徹底した『米軍優先・アメリカ優位の解釈』にあるのです」(300頁)と書いている。「主権回復の日」の4月28日、『東京新聞』社説は「憲法改正に声高な政府や政治家が日米地位協定改定には及び腰なのはなぜか。国民のために当たり前のことを主張し要求していくのが独立国の政府、正しいことに勇気をもって立ち向かうのが独立国の国民」と書いた。
いまTPPのISD条項により、司法主権が侵害される危険性が指摘されている。その意味で、TPPと地位協定は、ともに日本の国家主権に関わる重大問題である。本来、保守派、右派が危機感を抱いて取り組むべきテーマである。
【書評】 本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」
(編集長 坪内隆彦)