新国立競技場建設計画に続き、五輪エンブレムも白紙撤回された。しかし、今回も原因究明と責任追及が行われていない。遠藤利明五輪相は記者会見で「組織委員会、審査委員会、デザイナーの三者三様の立場で責任があると思う」と述べたが、誰も明確な責任をとっていない。
かつて丸山眞男は極東軍事裁判を分析し、指導者たちが誰一人責任をとろうとしない有り様を「無責任の体系」と呼び、批判した。丸山はそこで≪問題なのは、自ら現実を作り出すのに寄与しながら、現実が作り出されると、今度は逆に周囲や大衆の世論によりかかろうとする態度自体なのである≫と述べている。
武藤敏郎・東京五輪組織委員会事務総長は白紙撤回の理由として「一般国民から受け入れられない」ことを挙げたが、まさに「周囲や大衆によりかかろうとする(=大衆のせいにする)態度」と言えるだろう。戦後七〇年が経過したが、我々は何一つ変わっていないのである。
しっかりとした原因究明と責任追及が行われない限り、同じミスは必ず繰り返される。残念ながら、今の日本にはオリンピックを担当する能力はないと言わざるを得ない。本誌が東京オリンピック返上を訴える所以である。
(中略)
森さんは責任をとって辞めるべきだ
―― 計画の見直しで建設費の上限は1550億円になると言われています。しかし、まだまだ高すぎます。
村上 そもそもスポーツに経済効果を求めること自体が間違いなんですよ。企業が目先の利益を求めて群がっているけど、本当にあさましい。日本精神の何たるかがまるでわかっていない。
政治家がスポーツに介入するのもおかしい。スポーツは純粋なものです。必死の努力で磨いた技量を競うという純粋なスポーツマンシップは政治とは対極にあるものです。
況や、政治家が自ら求めてスポーツの世界との関わりを持とうとしてはいけません。純粋なスポーツを汚すことになります。オリンピックは元々の発祥の精神に戻るべきです。
資金的余裕のない国や都市でも開催できるよう、思い切って簡素化すべきです。巨大なスタジアムなど作らずに、皇居前広場で入場行進や表彰式などをすればいいじゃないですか。これは堺屋太一さんが言っていましたが、僕は大賛成だ。
オリンピックにも従来の考えを一新する大胆な発想の大転換が必要です。
―― 新国立競技場計画の白紙撤回には、東京五輪組織委員会会長である森喜朗元総理が最後まで抵抗したと言われています。森氏は五輪エンブレムの修正にも口を出したと報じられています。
村上 議員を辞めた人間がオリンピックにまで首を突っ込むべきではありません。森さんは、3千億円でも4千億円でも立派な競技場を作るべきだと主張したようですが、白紙撤回になった途端「僕はもともと、あのスタジアムは嫌いだった」とか、「誰にも責任はない」と放言したと新聞で読みました。実に見苦しい。
組織委員会会長の森さんに阿る下種な輩がいるから事態はさらに混乱した。これだけの混乱を招いた張本人は森さんですよ。森さんは責任をとって、潔く組織委員会の会長を辞めるべきです。
全文は本誌10月号をご覧ください。