望月衣塑子 司法判断は正しいのか

止まらないメディアの劣化

 第二次安倍政権の成立以来、日本のメディアの劣化は留まるところを知りません。それを象徴するのが伊藤詩織氏をめぐる報道です。イギリスのBBCが伊藤氏を取材したドキュメンタリー番組『Japan’s Secret Shame(日本の秘められた恥)』を公開しましたが、日本のメディアではきちんと取り上げられていません。

 ここでは弊誌11月号に掲載した、東京新聞記者の望月衣塑子氏のインタビューを紹介します。全文は11月号をご覧ください。

「お上至上主義」と決別する

―― 英BBCは今夏、元TBS記者の山口敬之氏からの準強姦被害を訴えるジャーナリストの伊藤詩織さんを取材したドキュメンタリー番組『Japan’s Secret Shame(日本の秘められた恥)』を公開しました。伊藤さんを取材した望月さんは、どう受け止めましたか。

望月 この番組は伊藤さんの事件をきっかけに、日本では性被害者が声を上げられない状況があり、女性の人権が尊重されていないのではないかという問題を提起していました。それを観て本当にドキッとさせられたというか、やはりジャーナリストの一人として恥じ入るところがありました。

 伊藤さんの事件では東京地検が不起訴処分(嫌疑不十分)、検察審査会が不起訴相当を出しています。メディアは起訴されたらバンバン取り上げたと思いますが、不起訴だったので大きく取り上げることはありませんでした。“不起訴の壁”で止まってしまって、それ以上、追及しようとしなかった。

 一方、BBCは外国で不起訴になった事件なのに、社会問題として真摯に取り上げました。もしもイギリスで同じような事件が起きていたら、たとえ刑法上の責任が問われなかったとしても、ジャーナリズムはそこで止まらないで、なぜ起訴されなかったのか、その判断に至るプロセスに問題はなかったのか、社会の在り方はどうなのかというところまで踏み込んだと思います。

 だから伊藤さんの事件で改めて痛感させられたのは、日本のジャーナリズムは「権力を監視する」とは言いながら、こと刑事事件に関しては権力の判断を絶対視しすぎているということです。

 たとえば、「起訴」「不起訴」が報道するかどうかの分かれ道になっています。もちろん「推定無罪の原則」がありますが、「嫌疑不十分」というのは「有罪にするだけの証拠が集められない」ということしか言っていないのです。ところが、「検察が起訴できなかったということは、不法行為そのものがない」と考えがちです。結局「起訴なら書く」「不起訴なら書かない」という機械的な報道姿勢になってしまいます。「不起訴でも深掘りする」という発想はあまりない。

 でも、これはおかしい。メディアは取材や検証に基づく独自の判断ではなく、検察の判断に従って報道しているということですが、その時点で「正しい」と思い込んでいるのですから。ところが、実際には警察や検察は数々の冤罪事件を起こしていますし、証拠がないのに起訴したり、逆に証拠があるのに起訴しなかったりしているわけです。

 だから本来ならば、不起訴処分の根拠は何なのか、捜査に問題はなかったのか、現場の本音はどうだったのかなど、真実を調べていかなきゃいけない。

 日本のジャーナリズムには「お上が言うんだから、間違いないだろう」と無批判に権力の判断に従い、知らず知らずのうちに権力に縛られながら、権力の手駒として報道してしまうようなところがあると思います。でも、ただ単に当局幹部からもらった情報を伝えるだけだったら政府広報と変わりません。私自身への自戒も含めて、こういう「お上至上主義」とは決別しなきゃいけないなと思います。……

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