『アジア主義思想と現代』
長谷川雄一編著
慶應義塾大学出版会
三六七二円
中国の王毅外相は駐日大使時代の2006年5月9日にアジア調査会で講演し、アジア主義の歴史を振り返った上で、21世紀の新しいアジア主義は、協力的で、開放的で、調和のとれたものであるべきだと主張した。「協力的アジア主義」は、「一人勝ちのアジア主義ではなく、ともに繁栄していくアジア主義」だとも説明した。だが、中国発のアジア主義は中国の覇権主義に利用されることになると警戒する議論もある。
アジア主義、興亜思想の研究は長い歴史を持つが、この中国発のアジア主義にどう対応するかという視点がいま求められている。編著者の長谷川雄一氏は「はじめに」で、「中国の提唱する新アジア主義の方向性は現時点でまだ明確には見えてきているとはいえない。本書ではこうした今目的課題をもつアジア主義を改めて歴史の中で複眼的に考究することを狙ったものである」と書いている。
日本のアジア主義を分析する際にも、中国のアジア主義を分析する際にも、伝統的な地域秩序である華夷秩序の考察が必要となる。徳川幕府時代に儒教者たちが中華を崇拝し、わが国を卑下する風潮を克服せんとして、水戸光圀、山鹿素行、山崎闇斎らの先駆者が登場したが、やがて本居宣長に始まる国学派は、いわゆる日本中華主義に傾斜していった。
大東亜戦争に至る過程を振り返ると、当初アジア各国の対等性や共通性に基盤を置いていた在野の興亜論が日本盟主論に陥った側面もある。本書に収録されたクリストファー・W・A・スピルマン氏の「鹿子木員信とアジア主義」は、「一九三〇年代に鹿子木が掲げたアジア主義は、日本の侵略の正当化という謗りを免れない。しかし現在、東アジア・東南アジアにおける中国の強硬外交も、アジア主義的な要素をもちながら、自国の膨張主義、国益追求を正当化している」と指摘する(107頁)。
つまり、日中の主導権争いは、今も昔もアジア主義の難問である。注目したいのは、放伐思想の排した儒学思想に普遍性を追求した幕末の儒学者に、日中連携による興亜という発想があったことである。いずれにせよ、日中が東アジアの地域秩序の主導権を争う状況がこれまでも存在したということである。
茂木敏夫氏の「華夷秩序とアジア主義」は、1870─80年代や第一次世界大戦後と似たような、東アジアにどのような地域秩序をつくるかに関して、各国がアイディアを競い合う状況が生じていると指摘し、「こうした競い合いは大いに歓迎すべきだ」と述べる(35頁)。
近年のアジア主義の問題として東アジア共同体論があるが、ここにも、日中の主導権争いという問題が潜んでいる。もともとこの構想の原型は、1990年にマレーシアのマハティール首相が提唱した東アジア経済グループ構想(EAEG)だが、マハティール首相は、日本の覇権主義も中国の覇権主義も望んではいない。この点で、マハティール首相のアジア主義を分析した金子芳樹氏の「マレーシアにおけるアジア主義」は、注目すべき論考と言っていい。
金子氏は、マハティール首相が「欧米的価値観(個人主義、欧米的民主主義、物質中心主義など)の絶対視や押しつけ、ならびに欧米諸国主導の国際秩序形成に反発し、90年代以降はそのオルタナティブとしてアジア的価値観やアジアの統合を強調するようになった」と書いている。マハティール首相が提起した課題は、いまなお我々に突きつけられている。これを受けるように、生田目学文氏は「東アジア共同体論の形成と展開」で、「共通の東アジア・アイデンティティに基づく真の意味での共同体にはほど遠いかもしれないが、段階的に推進していく以外に道はないように思われる」(304頁)と書いている。
このほか、スヴェン・サーラ氏「アジア認識の形成と『アジア主義』」、長谷川雄一氏「満川亀太郎における初期アジア主義の空間」、庄司潤一郎氏「近衛文麿に見るアジア主義の変化」、波多野澄雄氏「重光葵の外交思想」──と、アジア主義を考えるうえで極めて重要な論文が収録されている。(編集長 坪内隆彦)