【書評】さらば戦後精神

さらば戦後精神
植田幸生著
展転社
一九四四円

 戦後日本は、自国の歴史に対する誇りを失い、伝統的価値観を否定し、ひたすらアメリカ的な考え方に迎合してきた。その根源的な原因は、GHQによる占領政策とそれに協力した左翼勢力の存在だったと指摘されてから久しい。
 しかし、GHQと左翼を批判するだけでは問題の解決にはなるまい。なぜ戦後知識人が左翼思想に毒され、アメリカ流の民主主義にひれ伏すことになったのかが問われなければならない。この重要な問いに答えてくれるのが、副題に「藤田省三とその時代」とつけられた本書である。
 藤田省三は、戦後進歩的知識人を代表する一人である。この藤田から法政大学時代にゼミで指導を受け、歴史や思想に関する蒙を啓かされた著者が敢えて師藤田を論じた目的は、「大東亜戦争の敗戦がひとり藤田省三のみならず、数え切れない優れた才能をもつ人間を祖国憎悪、日本敵視の人生へと転身せしめた悲劇性を明らかにすること」にあった。

 藤田は昭和2年、愛媛県に生まれ、軍国少年として育った。そんな彼は敗戦のショックを契機に思想的に大きく転回していく。
 「当時の藤田にとって、自己と一心同体であったに違いない日本が、敵によって完膚なきまでたたきのめされて敗北した。それに伴い、少年の人生を賭けた夢も希望も、高い自尊心もろとも打ち砕かれ、屈辱の限りを味わった」(212頁)
 「皇国日本の大使命」に代るべき使命を見つけようとした藤田は、戦後日本を、戦前戦中に置かれた自己の立場への復讐戦の舞台と固く決意した。そして、共産党に入党する。
 「仇敵大日本帝国に対し、反旗を翻し、獄中非転向を貫き、出獄したと喧伝された共産党員は、藤田自身が戦後なさんとした戦いの魁けをなした英雄として、羨望と尊敬のまなざし抜きには語り得ない仰ぎ見る存
在であった」(212頁)。
 著者は藤田の師丸山眞男の名を世間に知らしめた「超国家主義の論理と心理」(『世界』昭和21年5月号)が、岩波書店と『世界』が生き残るために書かれたGHQ検閲当局への献納品だったと断じる(75頁)。
 実は、戦後の岩波書店は別のコースを歩む可能性もあった。創業者の岩波茂雄は、昭和21年4月25日に亡くなる直前、「五箇条御誓文の精神を体し……天地の公道を踏んで、燃ゆる情熱を以て真理を追求し、八紘一宇を実現することを望む」と書いていたのである。ところが、編集長吉野源一郎は、会社の存続を優先してGHQに迎合していく。著者は、吉野が「愛国者岩波の遺言を裏切る形で連合国及びGHQの占領政策の思想的露払いを演じたことだけは間違いない」と述べている(78頁)。
 その吉野に協力したのが丸山であり、著者は、吉野、丸山、藤田らを結ぶ心情的基礎にあったものは、戦前日本に対する怨恨と復讐心だったと見る。著者は、この「怨恨と復讐心」に注目するだけではなく、わが国に根深く浸透した欧米思想の影響と明治以来の日本人の思想的脆弱性を本質的問題としてとらえる。
 「藤田にとっての敗戦は、水を得た魚として『民主化』の大海に飛び込む絶好の機会でもあり、西欧の近代的諸概念は、そのための理想の翼であった」(40頁)
 そして、「戦争がすんだときのアカデミズムの雰囲気というのは、明治以来、ただ観念としてしか信じられていなかった近代思想の普遍的な価値が、ここで自立するだろうという、夢をもったにすぎないと僕は忖度するのですよ」という三島由紀夫の言葉を引いている。
 著者が藤田の明治国家論を批判するのも、それがマルクス主義の国家像と西欧民主主義国家の政治思想から導き出される価値の尺度に基づいているからである。
 さらに著者は、明治以降、「日本人の歴史意識や伝統感覚、美意識、倫理観等の基礎的な探求と、欧米から輸入、翻訳された思想や言葉、制度や観念との葛藤を経た上での調和、総合という巨大かつ重要な課題を切り開くことを回避」してきたと指摘している(95頁)。
 戦後精神と決別するには、日本人が欧米思想と改めて対峙するしかない。
(編集長 坪内隆彦)