誰が日本会議を支配しているのか

日本会議の知られざる真実

 11月26日に放送されたTBSの「報道特集」には、元参議院自民党議員会長の村上正邦氏も出演されていました。TBSの記者は村上氏から、日本青年協議会(日青協)の会長を務める椛島有三氏のことを聞き出そうとしていました。日本青年協議会とは、日本会議を取り仕切っている組織のことです。

 確かに椛島氏は表向き、日青協のトップに君臨しています。しかし、日青協を実質的に支配しているのは、椛島氏ではなく、安東巖氏という人物です。これは菅野完氏が『日本会議の研究』(扶桑社)の中で初めて明らかにした真実です。椛島氏だけを追いかけていても、日本会議の本質は見えてきません。

 実は村上氏は安東氏と昔から付き合いがあり、安東氏のことに最も詳しい人物の一人だと言えます。ここでは、弊誌9月号に掲載した、菅野完氏と村上正邦氏の対談を紹介したいと思います。なお、菅野氏と村上氏の対談も収録した新著『日本会議をめぐる四つの対話』を、12月11日に弊社より出版予定です。ご一読いただければ幸いです。また、12月9日には本書出版を記念して渋谷のLOFT9でイベントを開催いたします。是非ともご参加ください。(YN)





安東巖とは何者か

菅野 僕は『日本会議の研究』(扶桑社)の中で、村上先生からうかがったお話などに基づきつつ、安東巖のことを描きました。僕は安東を語らずに日本会議を語ることはできないと考えています。そこで、改めて村上先生に安東巖とはどういう人物なのかということをうかがいたいと思います。

村上 僕と安東さんの付き合いが始まったのは、安東さんが生長の家青年会にいた頃からだと思います。生長の家の教団にいれば、彼の影響力や存在感はすぐにわかりましたね。だから、生長の家で政治運動をする時も、彼の理解を得なきゃならんと思っていました。

 安東さんとの付き合いは今も続いています。僕がKSD事件で逮捕された後も、安東さんは僕に電話をくれました。自分の娘の婿を探しているので、いい婿さんがいたら紹介してくださいということでした。彼が僕のことを気遣ってくれているのは確かだと思います。

菅野 僕は安東こそが日本会議や日青協を全て仕切っていると見ているんですが、そのように断言して間違いありませんか。

村上 間違いありません。日本会議事務総長を務めている椛島も、何かを決定しようとする際には、安東さんならどのように考えるだろうかと自問自答していると思いますよ。

菅野 僕に証言してくれた人たちも、椛島有三や百地章、高橋史朗、伊藤哲夫は、月に一回安東のもとに集まり、どうするべきかという指示を仰いでいると言っていました。村上先生はこういう証言を聞くと、さもありなんと思いますか。

村上 思います。

菅野 人心掌握の持ち味というのは人それぞれあると思います。例えば田中角栄であればお金を集める力であり、村上先生は心意気です。安東の場合は何なのでしょうか。

村上 それはやっぱり「総合的な力」でしょうね。力には様々な要素があります。組織力もあれば、知力もあるでしょう。彼は谷口雅春先生の実相哲学の第一人者ですから、理論的な面では誰も叶いません。

 それから、これは一般の人はなかなか信じられないでしょうが、彼は何度も奇跡を起こしているんですよ。彼のおかげで、今まで歩けなかったのに歩けるようになったという人たちがたくさんいると聞いています。僕は彼の病気治しは雅春先生直伝だと思っています。

 そしてまた、生長の家の青年会には、安東さんのためなら死んでもいいという青年たちが大勢いました。青年会の怖さはそこにあったんです。彼らはいつ爆発するかわからない若いエネルギーをたくさん蓄えていました。

菅野 それは村の青年団もそうだし、創価学会の青年部にも言えますね。

村上 その通りです。そういう怖さを持っているところに、青年会の存在意義があるんですよ。逆に言えば、今の自民党に怖さがないのは、それがないからです。

菅野 つまり、昔であれば自民党の院外団がやるべきことを、日本会議の安東一派が代わりにやっているということですね。

村上 そういうことです。

村上正邦を監禁した生長の家の信者たち

菅野 僕が安東を知るという人たちから話を聞いた時、彼らは安東の持つ暴力装置を非常に恐れていました。村上先生は何か身に危険を感じるような目にあったことはありますか。

村上 僕も参議院議員に当選する前に、生長の家の青年たちに取り囲まれ、監禁されたことがあります。彼らの名前はわからないけれども、生長の家政治連合(生政連)のメンバーもいました。中には大学の空手部の連中もいましたね。

 僕はその時、直観的に「あ、これは青年会の手の者だな」と思いました。安東さんが村上を監禁しろと指示したとは思いませんが、暗示を受けたのでしょう。恐らく青年会の意思を忖度し、動いたのだと思います。

菅野 暴行を受けたんですか。

村上 受ける直前でした。僕はただ正座して合掌し、「谷口先生、ありがとうございます」と唱えていました。

菅野 神想観(*生長の家の座禅的瞑想法のこと)をしていたわけですね。

村上
 そうです。神想観は生長の家の人間にとって何よりも強い味方ですから。

菅野 生長の家の人間なら、神想観をしている人間を殴ることはできませんね。彼らは村上先生の何が不満だったのですか。

村上 谷口哲学を政治の世界でどう実現していくかということについて、僕のやり方が気に入らなかったんでしょうね。僕は頭に来たけれども、当時は監禁されたなんて話はできませんでした。恥ずかしいですし、自分が情けなくなりますから。それに生長の家を内部分裂させるわけにはいかないですからね。今だからこそできる話です。……


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