イギリスの立場を知らない産経新聞

チャーチル書簡は領土交渉に影響を与えない

 1月8日付の産経ニュースが、ロシアが北方四島領有の根拠としてきた「ヤルタ密約」について、イギリスのチャーチル首相が「米ソ首脳が頭越しで決定した。両国との結束を乱したくなかった」と、不本意ながら署名したことを示唆する個人書簡がイギリス国立公文書館で見つかったと報じています。産経新聞は京都大学名誉教授の中西輝政氏にもインタビューを行っており、そこで中西氏はチャーチルが密約の正当性に疑念を抱いており、ヤルタ協定を根拠とするロシア側の北方領土占有の主張は根拠を失うと述べています。

 産経新聞としては、チャーチルがヤルタ密約に疑念を抱いていたという事実をもって、日本の北方領土における立場が強くなると考えているのかもしれません。しかし、チャーチルが密約に批判的だったからといって、イギリスが北方領土における日本の立場を支持してくれるわけではありません。実は、かつて日本政府はイギリスに北方四島における日本の立場について確認を求めたことがあります。それに対してイギリスから回答が来ましたが、日本外務省はその内容を未だに公表していません。公表できない理由は明らかです。それが日本の立場を認めないとするものだったからです。どうやら産経新聞はこの事実を知らないようです。

 ここでは、弊誌2016年12月号に掲載した、元外務省主任分析官の佐藤優氏のインタビューを紹介したいと思います。なお、ウェブサービスnoteにご登録いただくと、このインタビューの全文を100円で読むことができます。noteの登録は無料です。是非お試しください。(YN)




二島返還で対露感情は大きく改善する

―― 保守派は日露交渉に不満を持っているはずです。それは、日本にはソ連に侵略された歴史があるからです。彼らが四島一括返還にこだわるのもそのためだと思います。

佐藤 確かソ連は日ソ中立条約を侵犯して対日戦争に踏み切りました。しかも、ソ連側が電報封鎖したため、日本はソ連の宣戦布告書を受け取るのが1日ちょっと遅れています。つまり、我々は1日ちょっとの間、「闇討ち」にあったということです。

 しかし、日本があの戦争で敗れたということは厳粛な事実です。そして、日本は国際社会に復帰するために調印したサンフランシスコ平和条約によって、国後島と択捉島を放棄しているのです。そのため、国後・択捉に対する日本の立場は弱いのです。

 これは当時の日本政府自身が認めていることです。1951年10月19日の衆議院平和条約及び日米安全保障条約特別委員会において、西村熊雄外務省条約局長はサンフランシスコ平和条約で放棄した千島列島の範囲について問われ、「北千島と南千島の両者を含むと考えています」と答弁しています。ここで言う南千島とは、国後島と択捉島のことです。

 ところが、ソ連がサンフランシスコ平和条約に調印しなかったため、日本政府はソ連との関係においてサンフランシスコ条約は有効ではないとして、国後島と択捉島の返還を求めるようになりました。この時、「我々は国後・択捉をいったん放棄したけれども、ソ連がサンフランシスコ平和条約に調印しなかったので、もう一度要求することにした」と言えば、嘘にはなりません。しかし、1956年に森下國雄外務政務次官が「日本は国後島と択捉島を放棄したことがない」と答弁し、あたかも一度も放棄したことがないかのように振る舞うようになったのです。

 これは国際的には通用しない議論です。実際、日本政府はかつて、サンフランシスコ条約の当事者であるアメリカとイギリスに、日本が四島を放棄していないことについて確認を求めたことがあります。これに対して、アメリカからは四島は日本のものだという回答が来ました。イギリスからも回答が来ましたが、その内容は未だに公表されていません。イギリスが北方領土に対する日本の立場を一度も支持したことがないことを考えれば、その回答内容は明らかです。それだから、もし国後島と択捉島の帰属について国際司法裁判所で争えば、日本は負けます。