内田樹 ビジネス化した五輪を廃止せよ

カネ目当ての東京五輪は中止すべきだ

―― 『街場の五輪論』(朝日新聞出版)等で五輪反対の立場を表明してきた内田さんにお話を伺いたい。

内田 もともと僕は08年の大阪五輪から一貫して五輪招致には反対でした。現代五輪には何の理想も大義もないからです。2013年に招致委員会が作成した公式コピーは「オリンピック、パラリンピックは夢をくれる。そして力をくれる。経済に力をくれる。仕事をつくる。それが未来をつくる」というものでした。これほどあけすけに五輪招致の目的が「カネ」だと告白した招致活動はかつてなかったのではないでしょうか。

 国家間の相互理解と共生を目指して企画された近代五輪は、1936年のベルリン五輪で国威発揚に利用され、84年のロサンゼルス五輪からマネーメイキングに利用されてきました。東京五輪もその延長上にあります。この公式コピーには、アスリートたちの国境を越えた出会いを祝福する言葉も、その例外的な身体能力に触れて人間の可能性の限りなさを知る感動も、そのような祝祭の場を提供する開催都市からの歓待の言葉も、何もありません。東京に五輪を招致したら、「自分たちにはどういう得があるか」しか書かれていない。これほど貧しい動機で五輪が開催されると知ったら、泉下のクーベルタン男爵は激怒して、「そんなものなら、止めなさい。どうしてもやりたければ『オリンピック』の名を使うな」と言うんじゃないかと思います。


五輪の「アテネ永久開催」を提案する

―― 本来の五輪の理想とは何だったのでしょうか。

内田 古代五輪は、ゼウスを祀る宗教儀礼であると同時に、都市国家間の戦争を競技会の期間中だけ停止して、敵対感情を対抗競技を通じて「解発(リリース)」するという実利的な性格を持つものでした。人間には攻撃性があり、暴力性がある。これは否定することができない。その攻撃性・暴力性を抑制的に解発するために、社会集団はそれぞれ固有の装置を有しています。祭礼や儀礼はしばしばそのためのものですし、運動競技もそうです。古代五輪はその意味で非常によくできた政治的暴力の昇華装置だったと思います。停戦期間は3か月にわたり、停戦協定に違背した国は以後の五輪への参加が許されず、他国から外交関係を絶たれるというペナルティを負いました。

 近代五輪の発祥は19世紀後半のヨーロッパです。当時のヨーロッパは、いくつもの都市国家が敵対的に隣接していた古代ギリシャに政治的状況が少し似ていました。「帝国」が解体し、固有の言語や宗教や国民文化を持つ「国民国家」が次々と成立し、それらが潜在的にはつねに敵対関係にあった。

 この敵対的な国民国家の間で戦争が起こるのを防ぐための装置を考えたのがヨーロッパの貴族たちです。

 中世以来、ヨーロッパ各地の貴族文人たちは「文芸共和国」と呼ばれる独特の国際的ネットワークで結ばれていました。彼らはそれぞれの「国語」ではなく、リンガフランカであるラテン語を「母語」とする集団でした。教養において、価値観美意識において、趣味や作法において久しく同質的であったこの「クロスボーダー集団」が、19世紀以後は国民国家間の対立を抑止する機能を担うことになります。彼らが掲げた「ヨーロッパ合衆国」というアイディアはその後「ヨーロッパ共同体」として現実化することになりました。近代五輪も同じ文脈に即して見るべき出来事だと僕は思います。

 主唱者のピエール・ド・クーベルタン男爵はフランス人ですが、イギリスのパブリックスクールにおけるスポーツ教育の効果に着目して、スポーツを通じての国際的相互理解のための「古代五輪の復活」というアイディアを思い付きました。これは「国民国家内部的」な思考しかできない人間には決して思いつくことのできない、汎ヨーロッパ的な、いかにも「貴族」的な発想でした。近代五輪は国民国家の国境を越えたスケールでの相互理解機会を創り出したという点で、世界史的な達成だったと思います。

―― 文字通り「平和の祭典」だったのですね。

内田 しかし、繰り返しますが、五輪の本質はすぐに歪められてしまう。1936年のベルリン五輪からは国威発揚の機会、84年のロス五輪からは金儲けの機会に変質した。草創期のIOC委員たちの多くは貴族でした。彼らはまさに国民国家という「狭い枠組み」を乗り越える国際的な結びつきを組織するために、ノブレス・オブリージュ(「貴族の責務」)として、身銭を切って大会運営のために献身的に働いた。今のIOCは違います。国民国家それぞれの国威発揚の野心を煽りたて、ビジネスマンたちの経済的欲望に乗って、私腹を肥やすような輩がひしめいている。

 本来の「平和の祭典」としての五輪の理念は素晴らしいものです。できれば、現在の「堕落した五輪」のかたちを補正して、本来の理念に沿うかたちで続けて欲しい。問題はいかにして本来の五輪を取り戻すかです。

 僕からの提案は、五輪は古代五輪発祥の地であるアテネでの永久開催にするというものです。そうすれば、国威発揚のために巨大な競技場を作って国家財政を破綻させるような愚は避けられますし、IOCが特権集団になることもなくなるし、経済的利益のために五輪を利用しようとする人たちも排除できる。……

以下全文は本誌7月号をご覧ください。