安倍政権が対米従属を続ける背景
安倍政権はこれまで北朝鮮に対して強硬な姿勢を示してきました。ところが、アメリカが北朝鮮との対話路線を打ち出すと、安倍政権も直ちに態度を変え、いまでは北朝鮮との首脳会談を模索するまでになっています。なぜ安倍政権はこれほどまでに対米従属的なのか。その原因は外交や安全保障という側面を見ているだけではわかりません。もっと本質的なところを見なければなりません。そのときにポイントになるのが「国体」という観点です。
ここでは弊誌5月号に掲載した、京都精華大学専任講師の白井聡氏のインタビューを紹介します。全文は5月号をご覧ください。
天皇ではなく米国を崇める保守派
―― 安倍政権の5年間が明らかにしたものの一つが、現在の保守派の異様さです。安倍政権は保守派を自任しながらも、ひたすらアメリカに追従してきました。また、彼らを支える日本会議からは、天皇の「おことば」を批判する声まで聞かれました。白井さんは新著『国体論 菊と星条旗』(集英社新書)で、この異様さの背景を解き明かしています。
白井 日本の歴史上長い間、権威と権力の分担が行われてきました。権威の頂点には常に天皇がいる一方で、権力の頂点はたびたび入れ替わり、天皇によって公認されるという形をとってきました。これが伝統的な「国体」と「政体」の二元論です。
この仕組みがうまくいくためには、権威と権力が調和していなければなりません。しかし、歴史的な動乱期には、しばしば権威と権力の対立が生じました。その場合、権威と対立する権力は朝敵とみなされ、新たな権力に取って代わられました。
直近の例で言うと、幕末期がそうです。このとき、権威たる朝廷と権力たる徳川家は完全に対立し、最終的には戊辰戦争によって徳川家が追討されることになりました。
これは現在の安倍政権にも当てはまります。安倍政権は天皇の「おことば」を受け、宮内庁に対して報復人事を行いました。また、生前退位問題を議論するために設置された有識者会議に、「おことば」に批判的な日本会議系の有識者を送り込みました。これほどあからさまに天皇を攻撃しているのだから、朝敵とみなされたとしてもおかしくないはずです。
ところが、現在の保守派からはそうした声はほとんど聞かれません。それどころか、安倍政権と一緒になって天皇を批判する勢力さえいます。ネット上でも「天皇は反日左翼だ」といった声が溢れています。
彼らの用語では、「左翼」とは共産主義者やその末裔のことを指します。共産主義者は当然、朝敵です。そのため、「天皇は左翼だ」とは、天皇は朝敵であるということです。しかし原理的に言って、天皇は朝廷そのものなのだから、朝敵にはなりえません。ということは、彼らにとっては皇居にいる天皇以外に朝廷が存在するということになります。
それでは、安倍政権や日本会議にとって朝廷とは誰なのか。彼らが対米従属的な言動を繰り返していることから考えれば、アメリカこそが朝廷だと言えます。つまり、彼らにとっての権威は天皇ではなく、アメリカだということです。
もっとも、私はここで安倍政権や歴代自民党政権が対米従属的であること自体を批判しているのではありません。アメリカに従属的であったり、依存的である国はたくさんあります。問題は日本の対米従属の特殊性です。
たとえば、日本では日米関係について語られる際、「思いやり予算」や「トモダチ作戦」といったように、過剰に情緒的な言葉が用いられます。また、日米首脳会談では、首相と大統領が親密であるかどうかという点にばかり注目が集まります。ここで重視されているのは、「アメリカが日本を愛してくれている」という命題です。
これは戦前の大日本帝国における天皇と国民の関係と相似形をなしています。大日本帝国は「天皇陛下がその赤子たる臣民を愛してくれている」という命題に支えられ、その愛に応えることが臣民の義務であり名誉であり幸福であるとされました。この物語は強力な動員装置として機能し、日本を近代国家として発展させましたが、あの戦争においては合理的な発想をすべて吹き飛ばしました。
その結果、日本は連合国に敗れ去り、国体は死んだはずでした。しかし実際には、戦前の国体はアメリカを媒介とすることで戦後も存続し、依然として国民の精神と生活を規定し続けています。国体は死語になったとはいえ、決して死んではいないのです。……