小倉和夫 近代化がもたらした歪んだ韓国観

慰安婦問題は消えない

 新たな慰安婦像の設置を受けて、日本では韓国に対する排外主義が強くなっています。確かに韓国側の対応は慰安婦合意の精神に反するものであり、強く批判されるべきです。

 しかし、日本の一部に見られるような、慰安婦合意が結ばれた以上、もう二度と慰安婦問題を議論する必要はないと考えるのも誤りです。慰安婦合意が締結されたからといって、慰安婦問題という歴史的事実がなくなるわけではありません。日韓は今後も慰安婦問題について研究や議論を重ねていくべきです。

 ここでは、弊誌2月号に掲載した、元駐韓大使の小倉和夫氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は弊誌2月号をご覧ください。

慰安婦問題は女性の人権問題として扱うべき

── 2015年末の日韓合意の趣旨に反する形で、韓国・釜山の日本総領事館前に慰安婦像が新たに設置されました。これに対して、日本政府は長嶺安政・駐韓日本大使と森本康敬・釜山日本総領事を一時帰国させ、日韓関係が急速に悪化しています。

小倉 慰安婦問題が日本と韓国の間の政治問題になってしまったことは、非常に不幸なことでした。日本と韓国のテーブルの間に慰安婦問題があるのではなく、日本と韓国のテーブルの向こう側に慰安婦問題が存在するという認識で、この問題は議論すべきだったと私は考えています。慰安婦問題は、植民地支配や戦争などの政治的事情によって、女性の人権が侵害されるようなことが再び起こってはいけないという認識に立って、女性の人権の問題として考えるべき問題だということです。

 女性の人権には、人身売買、売春から女性蔑視の問題まで様々あります。日韓の市民団体が、これらの女性の人権の問題と合わせて、慰安婦の問題についても、協力しながら解決していくという認識を持つ必要があります。

 韓国側が女性の人権を考えるシンボルとして、少女像を別の場所に作るなら話は別ですが、日本の大使館や総領事館の前に建てることは、問題をこじれさせることにしかなりません。一方、日本としては、こうした韓国側の動きに対して遺憾の意を表明するのは当然ですが、対抗措置という言葉を使うことは、かえって事態を悪化させることになると思います。

 慰安婦問題は、政府間だけで話し合うのではなく、女性の人権に関心を持つ市民団体が話し合うべきであり、そのための場を作る必要があります。問題の次元を転換するという努力を日韓双方がするべきではないでしょうか。それが未来志向の意味だと思います。慰安婦問題を日韓間の問題ととらえることは、過去志向であって、それを続けていても日韓関係は良くなりません。

近代化の自負が増幅させた朝鮮に対する侮蔑意識

── ネットなどでは、韓国に対する非常に強い侮蔑意識が表現されています。歴史的に見て、韓国人に対する日本人の侮蔑意識は、どのようにして生じてきたのでしょうか。

小倉 明治維新以来、日本人は近代化を国家的至上命題と考えてきました。そして、日韓併合によって朝鮮半島を植民地とした日本は、朝鮮を近代化することが日本の使命だと考えたのです。

 そのとき日本人は、朝鮮が非近代的な国だととらえていました。例えば、1910年代に朝鮮を訪れ、釜山、京城から平壌まで旅行して歩いた高浜虚子は、『朝鮮』の中で、「(朝鮮人)は狭い家の中は寝苦しい為めに門前に莚を敷いて其上に夜露を浴び乍ら寝るものも多い」と朝鮮の貧しさを強調していました。虚子が朝鮮の地を踏んだ時、「白衣の人々の群れ」という印象を受けたように、当時多くの日本人が朝鮮を「白衣の国」と表現していました。

 白衣は、貧しい国であるという見方と連動していました。白衣に秘められているものは、「色のないこと」から連想される貧しさだったからです。また、実際に多くの白衣は決して清潔なものではなく、白衣を着ている者はえてして、貧しい労働者や農民だったのです。

 一方、日露戦争の頃、船で仁川まで赴いた与謝野鉄幹は、「韓人街」で犬が丸ごと皮を剥がれて丸茹でにされ、店に並べられている様子を細かく描き、「貧しき国のいたましさ」と嘆いていました。

 近代化を推し進める日本人にとって、貧しく、非近代的な国は、民度が低く、洗練されていないように見えました。こうして、日本人は「近代化の遅れの背後に朝鮮の国民性がある」と考えたのです。日本人は、朝鮮人の「非実利的性格」、「いい加減さ」、「激情性」などを非近代性と結びつけてとらえ、朝鮮人についての否定的なイメージを増幅させていきました。

── そもそも、日韓併合の背景には、日本人が韓国政府に統治能力がないと認識していたことがあります。

小倉
 例えば、福澤諭吉が創刊した『時事新報』は、1882年のいわゆる壬午の変で日本大使館が焼き討ちに遭った際、韓国政府が大使館保護のために何らの行動も起こさなかったことを追及し、「朝鮮の政府に在韓の日本人を保護する力はない」と主張しました。朝鮮政府に対する不信感は、朝鮮国民への不信感と結びついていきます。『時事新報』は、朝鮮人を頑なで、軽はずみで、無智な人々とみなすようになるのです。

 やがて日本こそ朝鮮を保護すべき国であるという考え方に発展していったのです。つまり、近代化、文明開化によって日本の自負が高まるほど、朝鮮に対する苛立ちと侮蔑感は高まり、日本人の指導者意識が強まっていったのです。

 一方で、日本人が書き残したものの中には、朝鮮に近代化してほしくないという気持ちがにじみ出ているものもありました。

 明治維新以来、日本人は近代化していく過程で、自負を高める一方、西洋化に伴う自己の醜さも感じるようになっていました。日本人の中には、過去の日本にある種のノスタルジーを抱いた人もいたのです。しかし、日本は近代化に邁進し続けていきました。そこで、彼らは過去へのノスタルジーを朝鮮半島に投影しようとしたのです。そして、一部の日本人は朝鮮半島や中国が近代化せず、昔のままでいてほしいというロマンを抱いたのです。近代化の矛盾はこのような形でも表れていたのです。……

なお、ウェブサービスnoteにご登録いただくと、このインタビューの全文を100円で読むことができます。noteの登録は無料です。是非お試しください。(YN)
note