白井聡 天皇とアメリカ

天皇陛下は強い不満を漏らされたのか

 天皇陛下の退位をめぐる政府の有識者会議の中で、保守系の専門家から「天皇は祈っているだけでよい」などの意見が出たことに対して、天皇陛下が「ヒアリングで批判をされたことがショックだった」との強い不満を漏らされていたと報じられています(5月21日付毎日新聞)。これに対して、宮内庁の西村泰彦次長は5月22日に行われた記者会見で、「陛下が発言をされた事実はない」と否定しています。
 
 どちらが真実であるかはわかりませんが、生前退位をめぐる国民的議論がまだ不十分であることは否定できないと思います。我々は「日本にとって天皇とは何か」ということを、さらに議論していく必要があります。

 ここでは、弊誌6月号に掲載した、京都精華大学専任講師の白井聡氏のインタビューを紹介したいと思います。全文は6月号をご覧ください。

今上天皇の並々ならぬ覚悟

── 天皇陛下の「お言葉」をどのように受け止めていますか。

白井 私は「お言葉」を聞いた時、虚をつかれた思いがしました。私たちが深く考えてこなかったことについて、今上天皇が誰よりも懸命に考えてきたことがわかったからです。それは「象徴天皇制とは何か」という問題です。

 現代の日本の言論界は、象徴天皇制について、憲法と皇室典範に書かれていることをそのまま受けとるだけで、それ以上のことは議論されていなかったと思います。つまり、戦前の反省から、天皇は政治的権限を持たない儀礼的な存在だと理解するだけで、そこで思考停止していた。

 実際、象徴天皇制が話題にされる時にほぼ唯一の焦点となってきたのは、戦後の昭和天皇が政治に介入したかどうかということでした。例えば、鳩山一郎首相がソ連との国交回復を決断し、昭和天皇に報告したところ、反対の意見を言われたという逸話があります。これは昭和天皇が戦後憲法の矩を踏み越えたものと言えます。

 また、元参議院議員の平野貞夫氏が『田中角栄を葬ったのは誰だ』(K&Kプレス)で明らかにしていますが、衆議院議長だった前尾繁三郎がロッキード問題で混乱する国会の正常化に執念を燃やしたのは、昭和天皇の意を受けてNPT(核拡散防止条約)を批准するためだったといいます。事の是非は置くとして、これも水面下で行われた憲法違反です。

 これに対して、今上天皇の「お言葉」では、こうした問題とは全く異なる次元の問題提起が打ち出されました。「お言葉」の中で強調されていたのは、「象徴としての役割を果たす」ということです。天皇が象徴しているものは、国民ではなく、「国民の統合」だということにあらためて気づかされました。そして、象徴としての役割を果たすことにおいて、最も大事だとされたのは祈ることだという。今上天皇には、祈りによって国民の統合を保ってきたという思いがあるのでしょう。

 ところが、現在の日本では、国民の統合が破壊されるような事態が生じています。貧困問題や沖縄の米軍基地問題などがそれであり、より一般的に言えば、3・11以降、特に安倍政権によって体現されている戦後民主主義への破壊衝動の出現です。これらの国難の発生と天皇が年をとって体力が低下してきたことが、時期的に重なっている。このことは偶然なのですが、国民の統合の実現に対して、今上天皇は無限責任を感じているのではないでしょうか。祈りの力は加齢によってますます弱まってしまう。そこで、もっと力強く祈ることができる若い天皇が必要だとして、生前退位を決断したのだと思います。

 これは今上天皇が摂政代行論を明確に否定したことによって裏づけられます。憲法や皇室典範を素直に読めば、高齢のために天皇の仕事を続けられない場合には摂政を置くことになるはずです。しかし、国の平安のために祈るという天皇の仕事は、本人しかできないと今上天皇は考えている。だからこそ摂政による代行を拒否したのだと思います。

 ここには今上天皇の並々ならぬ覚悟があらわれています。私は「お言葉」を聞いた時、ある種の「烈しさ」を感じました。それは何としても国民統合の崩壊を食い止めなければならないという覚悟から来るものだと思います。

 そもそも「お言葉」を発表すること自体、強い覚悟がなければできないことです。「お言葉」には皇室典範を変えてほしいという政治的要求があらわれていたため、憲法違反の恐れがあります。今上天皇は折に触れて戦後憲法は大事だと言ってきたのだから、これでは自家撞着に陥ってしまう。

 しかし、今上天皇はそのことをわかった上で、あえて「お言葉」を表明したのだと思います。一般論として、ある秩序全体を守るために、その秩序が定めている個別のルールを破らなければならない瞬間があります。今回の場合は、戦後民主主義という秩序を守るために、個別のルールを破らざるをえなかったということです。……