古川禎久 中選挙区制を復活せよ

 政権交代から近く三年。依然として国政は正視に耐えない迷走を続けている。政権を預かることの自覚もなければ見識もなく、ただ思いつき場当たり的に何かを言ってみるだけという光景が延々と続く。私たち日本国民は今、見渡す限りの政治的“焼野原”の前に立ち尽くしながら、「戦後日本」が完全にそして見事なまでに行き詰ってしまった現実に直面している。もはや、民主党の失敗を論うときは過ぎた。主権回復から六十年にわたる政党政治そのものを、今私たちは深くそして潔く猛省しなければならない。そうすることで私たち日本人は今一度、再起への決意を新たにして出直すことができる。

 幕末、英仏が虎視眈々と介入の機会をうかがっていたとき、坂本竜馬は「徳川も長州も薩摩もないがゼヨ」と言った。混乱を抱えながらも明治という挙国体制が敷かれ、それによって日本が力強く近代化へと踏み出したのは紛れもない、そして輝かしい我が国の歴史である。難局にあって日本人は国をあげて結束することができるのだ。昭和三十年の「保守合同」も同様で、自由民主党という挙国体制をつくれたからこそ戦後復興・高度成長を実現できた。そして平成二十四年の今日もまた「保守再編」「保守合同」をもって挙国体制をつくるべき局面だと私は信じて疑わない。困ったときには結束して乗り越えるのが日本人だ。外国に日本の強さを見せてやるのは今である。

 ただ、再編、合同と言ってはみても、無秩序で無節操な野合では意味がない。クラゲとクラゲが合体したところで役には立たない。保守再編においては、太くて固い背骨が是が非でも必要であり、そしてそれは「占領体制からの脱却」「自主自立」といった歴史的命題でなければならない。具体的に言い換えれば自主憲法制定のような事柄である。戦後政治が、実は遠巻きに巻いて避けてきたこの核心的課題を敢えて触媒とすることで保守再編・保守合同という化学反応を誘発し、挙国体制を構築する。私は、政党政治のダイナミズムに一縷の活路を見出したいのだ。

 だがその一方で、政党政治の機能劣化はもはや看過できないレベルに至っているのも事実である。国民の価値観が多様化すればするほど、政党は国民の要求を受け止めきれなくなる。それはつまり政党が国民の不満の対象になるということだ。それに加えて、テレビ政治がポピュリズムをまき散らし、政党が人気取りにひた走るとあっては、もはや政党は国民に対する指導力を保つことなどできるはずもない。

 自民党ですら、かつての派閥は形骸化して党内の意思決定は難しくなり、バラバラな政党とのイメージを国民に与えている。政党が政党自身の意思決定にもたつく有様で、どうやって国家の意思決定ができるというのか。いったい誰が、いずれの機関が、国家の意思を決定し実行するのか。我が国はいま、背筋が寒くなるような漂流状態、無防備状態にある。政党にもう一度、指導力を持たせるにはどうすればよいか。私はここで二つだけ提案したい。……

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