「西郷隆盛ブーム」に異議あり
今年は明治維新から150年目であり、NHKも西郷隆盛を取り上げるなど、「西郷隆盛ブーム」が起こっているように見えます。しかし、単に西郷隆盛を称賛するだけでは、西郷の本質に迫ることはできないでしょう。
ここでは弊誌2月号に掲載した、哲学者の山崎行太郎氏のインタビューを紹介します。全文は2月号をご覧ください。
冷徹で合理的な西郷隆盛
―― 山崎さんは昨今の「西郷隆盛ブーム」に異議を唱えています。
山崎 私は生まれが鹿児島なので、昔からよく西郷隆盛の話を聞かされてきました。そのため、西郷は聖徳太子や孔子、キリストなどと並び称される存在であり、西郷抜きにして日本の歴史は考えられないとさえ思っていました。
しかし、私はある時から、周りの人たちが西郷を手放しで賞賛することに生理的反発を覚えるようになりました。彼らの西郷論は単なる郷土自慢の延長にすぎず、西郷の実像を捉えたものとは思えなかったからです。
たとえば、西郷を論じる際によく取り上げられるのが『南洲翁遺訓』です。ここには西郷の優れた人となりが記されています。しかし、この遺訓の聞き取りがなされたのは、西郷が下野し、鹿児島に戻っていた時です。つまり、これは現役を引退して隠遁した人間による昔語りなのです。戦後の日本でもしばしば戦争に行った人たちが高説を垂れることがありましたが、そうした話がどこまで信用できるのか疑問です。
私がむしろ注目すべきだと思っているのは、現役バリバリの時代の西郷です。実はその頃の西郷は、必ずしも人間的魅力があったとは言えないという話が残っています。西郷と同じ頃に奄美大島へ流された重野安繹は、西郷はすぐに敵を作る度量が狭い人だったということを言っています。
また、西郷は幕末の頃には相楽総三を支援し、赤報隊を結成させました。西郷は幕府を撹乱するため、彼らを使って破壊工作を行っていました。つまり、西郷はテロリストだったのです。
その後、明治新政府は赤報隊の存在が邪魔になったため、相良たちを処刑しました。この時、西郷は赤報隊を助けようとしませんでした。彼らを散々利用した挙句、見捨てたということです。西郷は赤報隊と運命をともにするようなロマンティストではなかったのです。
もちろん人格者としての西郷像が全くの嘘だとは思いませんが、西郷は幕末を生き抜いた人物です。あの乱戦の時代を綺麗事だけで生き延びられるはずはありません。こうした西郷の合理主義的で冷徹な面を踏まえなければ、西郷の実像を捉えることはできないと思います。……